大きく潮目が変わった「いのちのとりで裁判」 “計算のプロ”出廷するも、生活保護減額の根拠示せず
国が生活保護費を2013年から大幅に引き下げたのは、憲法25条が定める生存権の保障に違反するとして、全国各地の1000人を超える受給者たちが国や自治体に引き下げ決定の取り消しを求めている「いのちのとりで裁判」。 2020年6月に全国に先駆けて判決が出た名古屋地裁で「生活保護基準の引き下げは国民感情や国の財政事情を踏まえたもの」として訴えが退けられた(控訴審が名古屋高裁で継続中)のをはじめ、当初は原告の請求棄却の判決が目立った。しかし、ここにきて大きく潮目が変わってきている。引き下げの取り消しを認める判決が増えてきたのだ。 原告側の訴えが認められ始めた背景には、各地の訴訟を通じて、厚生労働省が引き下げの根拠として説明してきた、物価の下落分を反映させたという「デフレ調整」の矛盾点が明らかになってきたことがある。3月中旬の名古屋高裁で行われた控訴審には、このデフレ調整の算出に関わったとされる厚生労働省の元課長補佐が証人として出廷。同種の訴訟において初めてとなる現役官僚の証言に、全国から注目が集まった。(石黒好美/nameken)
物価の専門家も「厚労省の計算は異常」と指摘
3月16日午前、名古屋高裁第1号法廷の証言台に一人の男性が立った。過去に厚労省社会・援護局で保護課長補佐を務めていた西尾穂高氏だ。西尾氏は、東大大学院で「フーリエ解析の応用」などを研究し、国家公務員Ⅰ種試験(数学)に合格したいわば“計算のプロ”。数理的な素養を活用して、厚労省がデフレ調整を行う際に使った「生活扶助相当CPI」という独自の指標の導入に携わっていたとされる人物である。 原告側はこの独自の指標の導入こそが、生活保護基準を引き下げるために物価の下落率を恣意的に大きく見せた「物価偽装」「統計不正」であると主張してきた。そのため、この日の尋問では「なぜこの計算式を導入したのか」「なぜ厚労省の有識者会議である生活保護基準部会でデフレ調整の検討はされなかったのか」と次々に質問。これに対し、西尾氏は「行政の意思形成過程に関わる」としてことごとく証言を拒んだ。 「公務員の守秘義務」を理由に、西尾氏は原告が争点としている「物価偽装」の核心に関わる事項については徹底して言及を避けた。しかし、見方を変えれば国側から生活保護基準の引き下げの正当性を示す証言は何も出ていないとも言える。 4時間に及ぶ尋問の中では、国が生活保護基準引き下げの根拠としていた「物価の下落率」について、その数字の信頼性を疑わせるような重要な証言もあった。国は「生活扶助相当CPI」という複雑な計算方法を用いて2008年から2011年の間に物価が4.78%下がったと主張するが、一般的に物価の変動を測るために用いる「消費者物価指数(CPI)」を見ると、同じ期間の物価下落率は2.35%。実際の下落率よりも大幅に生活保護基準を引き下げたのではないかと問う原告側に対し、西尾氏は4.78%という数字の「妥当性については検証を行っていない」と述べたのだ。 物価の下落率が4.78%であるという厚労省の主張については、西尾氏の前日に証人として出廷した、物価指数の専門家である北海学園大学の鈴木雄大准教授(経済学)も「実態からかけ離れた異常値」と証言している。鈴木氏は「生活扶助相当CPI」についても「学術的な根拠のない計算方法」と指摘していたが、これまでに国側からこの指摘に対する反論はない。