なぜ2人のレジェンドは”18分間の熱トーク”を繰り広げたのか…小野伸二と中村俊輔が開幕対決直前に語り合ったもの
日本代表におけるすれ違いの象徴が、トルシエジャパンが史上初のベスト16進出の快挙を達成した2002年の日韓共催大会となる。開幕直前に虫垂炎を患いながらも全4試合に先発した小野とは対照的に、当落線上にいた俊輔はまさかの落選。その年の夏に活躍の場をイタリアへ求めた。 そして、代表で最後にそろい踏みを果たしたのはジーコジャパン時代の2006年6月12日。俊輔のゴールで先制したオーストラリア代表とのドイツワールドカップのグループリーグ初戦は、小野が途中出場した後半34分以降に立て続けに喫した3失点で、悪夢の逆転負けを喫した。 さまざまな思いが脳裏を駆けめぐっていたなかで、高校からプロの世界へ入った1990年代の後半からともに意識しあってきた2人の声を、おもむろに弾ませた質問が飛んだ。お互いのプレーを見たときに、こんな能力が自分にもあったらと思うことは――先に指名されたのは俊輔だった。 「シンジは両方の足で蹴れるし、あとは身体のバランスが僕は(左足の)片方に寄っているので、本当に両方にバランスがある分、すごく動きやすいんだろうなと思って。反転とかトラップとかを含めて、キックとかドリブルとか視野の広さとかを言うよりも、一度シンジの身体になってみたいですね。片方しかできないから、そういう感覚になってみたい、というのはありますね」 利き足は両足とばかりに自由自在なプレースタイルから、絹のように柔らかいパスを繰り出す小野の姿に憧れていたと俊輔が打ち明けた。ちょっぴり照れくさかったからか。思わず吹き出して言葉を途切れさせながら、小野も同じ思いを俊輔へ返している。 「シュートもパスもそうですけど、俊輔さんは右足の技術も高いですし、左のキックも含めてすべてのレベルが高すぎるので、逆に僕は俊輔さんになりたいと思いますけど」 小野の脳裏には現時点で最後の直接対決となっている、前出の磐田戦が蘇っていたはずだ。俊輔は前半に右足から正確無比なクロスを放ち、FW川又堅碁のあわやのヘディングシュートを演出。札幌GKク・ユンソンの美技に防がれたものの、後半には黄金の左足から強烈な直接FKを見舞っている。