トランスジェンダーの女子プロレスラー朱崇花 「彼女は…」って当たり前に呼ばれたい
2015年8月、16歳のとき日本人で初めて性同一性障害であることを公表したプロレスラーとしてデビューを飾った朱崇花(あすか、23)。女子プロレスの世界で着実にキャリアを重ねて7年。先月にはコロナ禍で厳しかった海外遠征(イギリス、イタリア)にも久々に行けて活躍の幅を広げる。これまでの日々を振り返りながら現在の思いを聞いた。
幼い頃から心は女の子 いじめに遭った子ども時代
プロレスに興味を持ったのは小学校3年生、9歳の頃。テレビで見た女子プロレスラーに憧れた。 「浜田文子さんがめちゃくちゃかっこよくて。体格は細いのに自分より大きな選手を倒している姿に感銘を受けたんです。小さくても大きな人に勝てるんだなって」 そう思った背景には子どもの頃の辛い体験がある。物心ついたときから仕草が女の子っぽかったため、いじめに遭っていたという。 「男子がサッカーやドッジボールで遊ぶ時期、私は女子と一緒にたまごっちとかシール交換。友達も女子のほうがぜんぜん多かった。化粧とかしていたわけではないですけど女の子の仕草が出ちゃうんです。私にとっては当たり前でしたが、いじめの対象になって学生時代はいい思い出はあまりないです」
百均で買ったクレヨンで初めてのお化粧
親も朱崇花が性同一性障害とは気づいていなかった。 「ふわふわした感じの男の子なんだろうなって感じだったと思います。兄弟は3人で上も下も女の子で家にはプリキュアとかセーラームーンとかのおもちゃがありましたけど、それ以前から私はミニカーよりぬいぐるみ集めが好きで、家庭の影響というより生まれつきみたいな感じでした」 自身を「女性」として強く意識したのは16歳の頃。宮城にいた小学生の頃から父親の影響でレスリングを始め、6年生のときには全国3位となり高校の推薦ももらったが、中学時代に家族ごと神奈川へ引っ越したため、高校に入ると単身宮城に戻って寮生活をした。 「一人なので自由にできて、レスリング部で丸刈りだったからウイッグかぶりやすいなとか。お化粧もしたくて、化粧品売り場に行くのは恥ずかしかったので百均でクレヨン買ってマッキーでアイラインひいて。仙台の繁華街の国分町へ行くとモテてナンパされたんです。『私、世界一可愛いわ』みたいなテンションで肩で風切って歩いていました。でも夜で暗いしナンパしてきた人もおじいさんで、それで調子乗ってたのも恥ずかしいんですけど(笑)」