新日本プロレス50周年 昭和のブーム期支えた古舘アナの実況
1972(昭和47)年の創立から今年で50周年を迎えた新日本プロレスのニュースが多数報じられている。1日には日本武道館での試合開始前に昭和の頃からのOBたちを招いた記念セレモニーも開催された。昭和期のプロレスはテレビなくしては成立しなかったが、新日本プロレスの試合を中継したテレビ番組「ワールドプロレスリング」の歴史からはなんと言っても古舘伊知郎さんの実況を外すことはできないだろう。古舘さんの実況がいかにブームを盛り上げたのか振り返ってみたい。
小学生の頃から好きだったプロレス
現在もフリーアナウンサーとして活躍する古舘さんは1954年12月東京都生まれの67歳。テレビ朝日に入社した1977年に早くも新日本プロレスの実況デビュー、レギュラーとしては1987年までの10年間携わった。 筆者は「報道ステーション」降板後の古舘さんにインタビューした際、プロレス実況との関わりについても話を聞いたが、プロレスは小学生の頃から好きで中学時代には神田駅で毎日欠かさず東京スポーツ紙を買い記事をチェックしていたと振り返っていた。また高校の頃には昼休みの校庭に200人近い生徒を集め、友達を選手に仕立て、古舘さんが実況役をやって壮大なプロレスごっこをしたと懐かしそうに目を細めていた。そんな古舘さんがテレ朝入社のその年に早々と新日本プロレスの実況担当になったのも自然な流れだったのだろう。 多彩な選手が群雄割拠する新日本プロレスの興行のダイナミックさを端的に表現した『戦いのワンダーランド』、藤波対長州をはじめとする連続ドラマのようなライバル対決を表現しての『名勝負数え唄』、身長223センチの巨体で一世を風靡したアンドレ・ザ・ジャイアントの迫力を伝えた『一人民族大移動』など、古舘さんの口からほとばしるインパクトあるフレーズの数々は選手たちが織り成すリング上のストロングスタイルのファイトと相まって、新日本プロレスを大いに盛り上げた。古舘さんに聞くとその実況のルーツは前任者の舟橋慶一さんにあるとのことだった。舟橋さんは初期の新日本プロレスの実況担当で1976年に行われたアントニオ猪木対モハメド・アリ戦も実況したベテランアナウンサー。解説の東京スポーツ・桜井康雄さんとの名コンビぶりは、古くからのプロレスファンなら懐かしいところだろう。