トランスジェンダーの女子プロレスラー朱崇花 「彼女は…」って当たり前に呼ばれたい
泣きながら父親に打ち明けた16歳の誕生日
そしてその16歳がまさに人生のターニングポイントとなる。プロレスデビューを決めると同時にカミングアウトをしたのだ。 「両親は離婚して父が宮城にいてちょこちょこ会っていました。16歳の誕生日、父に『ママには言えないけど』って泣きながら打ち明けたんです。父は『俺が言える立場じゃないけど好きに生きていいんじゃないか。ママには俺から言っておく』って」 レスリングも高校もやめ、何をして生きていくか考えた。ダンサーをはじめメイクアップアーティストや美容師、モデル、いろいろ候補はあったものの、レスリングを始めたきっかけがプロレスであり浜田文子への憧れだったことが忘れられなかった。 「浜田さんが所属した団体にメールを送ったんです。女子プロレスラーとしてデビューできますか?って。そのときの団体がコミカルな面があって男子も募集していたし、なんでもウエルカムだったのでタイミングよかった。入門までトントン拍子でした」
厳しい練習を重ねて努力でつかんだデビュー
アマレスのバックボーンはあったがプロレスとは違うので最初は辛かった、と振り返る。 「受け身一つとっても、立った状態から後ろに受け身をとることはアマチュアにはなかったこと。練習はきついし痛いし。『いままでは倒してナンボだったのになんで倒されなくちゃいけないの?』と思いつつも、プロレスは見せることが重要だなと。それと、それまで男社会でやっていたのが急に女社会になって、あれやこれや指示されるのが辛かった」 それでもめげずに努力を重ねた結果、デビューまでかかった時間は3ヵ月と早かった。キャッチコピーは性同一性障害レスラー。 「嫌だなー、もうちょっと別の言い方あるんじゃないの?と思いつつも団体に任せるしかなかったので。デビュー戦はお客さんのことも考えている余裕なかったです。性同一性障害の選手がデビューということでテレビの密着取材もついてましたし(笑)」 今は性同一性障害という言葉は使わずジェンダーレスと表現している。 「これはプロレスラーとして活動していくうえで私についてまわるものだけど、もっとフレンドリーな言い方にできないかなって考えたんです。過去ニューハーフとかゲイとかいろんな呼び名があったけど別に私は水商売じゃないし、何かいい言い方ないかなって探していて『ジェンダーレス』を見つけたんです」