「やりたいことがわからない」福田萌の目の前が開けた憧れの人からの「言葉」
昨年末に第三子を出産したばかりの福田萌さん。数年前にシンガポールに移住し、10歳の女の子と7歳の男の子、夫の中田敦彦さんと暮らしている。 【写真】福田萌さんと、昨年12月に生まれた息子さん。 タレントとしての仕事をしながら、母親同士がつながるサロンを提案したり、防災士の資格をとったり……一人の母として、女性として、妻として、仕事人として、感じたことを福田さん自身の言葉で綴ってきたこの連載が書籍化され『「中田敦彦の妻」になってわかった、自分らしい生き方』として刊行。「妻に合わせる気が全くない“ジェット機型走者”」の夫・中田敦彦さんとの激動の人生、ジェットコースターのような毎日がまとめられている一冊だ。 2024年を「人見知りをやめたことで、すごくハッピーな1年だった」と振り返る福田さん。今回は、憧れの人に言われたある言葉をきっかけに福田さんに起きた変化についてお伝えする。
「人見知りをやめた」1年
今年も早いもので残すところわずか。我が中田家は年末年始は日本で年越しするのが恒例になっているので、今年も帰国し、冬の冷たい空気に触れながら、日本らしいお正月を過ごすことがとても楽しみだ。夫は相変わらず、気づいたら帰国後のスケジュール詰め詰めでお忙しそうなこと、何より。 2024年は昨年12月の第三子の誕生で、久しぶりの赤ちゃんとの生活が賑やかな1年だった。しかし私個人的には、私が「人見知りをやめた」1年だったと振り返る。 日頃海外で暮らしているからか、はたまたシンガポールは人の入れ替わりが激しいからか、『一期一会』という言葉の重みを感じるようになったこの頃。年齢を重ねるにつれて、寂しいことに、もう会えない場所に旅立ってしまった友人、知人の数も増えつつある。 今まではもじもじして、私なんかが顔を出したって誰も喜ばないはず……と卑屈に人見知りを演じてきた。だけど、だんだんその「私なんか」というエゴが邪魔になってきた。それよりも、会いたい人に会えるチャンスがあるのなら、実際会ってみて話を聞いてみようじゃないか、という思いが強くなってきた。 それは、緊張するような場所に出向いても、行けばなんとかなった経験、いやそれよりも、想像以上の出会いに恵まれて数日間幸せに過ごせた上、あのとき行くと決めた自分グッジョブ! とすら思える自己肯定感が高まる出来事の方が多かったから。