124名が死亡… 初詣での「餅まき」が引き起こした「空前の惨劇」 群衆管理の未熟さによって起きた「彌彦神社事件」とは?【戦後事故史】
1956年1月1日、新潟県にある彌彦(やひこ)神社で、124名もの命を奪う群衆事故が発生した。元日を迎える喜びに包まれるはずの初詣の場で、なぜこのような悲劇が発生したのか。オーバーツーリズムが社会問題化している今、改めてその経緯と原因について振り返りたい。 ■124名が命を落とした、明治以降最悪の群衆事故 2022年、韓国・梨泰院で発生したハロウィーン群衆事故は158名の尊い命を奪った。それに匹敵する大惨事が、かつて日本でも起きている。1956年の1月1日、新潟県の彌彦神社で初詣に訪れた124名が命を落とした、史上最悪の群衆事故である。 1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約が翌年に発効し、日本は連合国軍の占領統治から主権を回復。以後、国民の生活水準は目に見えて向上していった。この事故が発生したのは1956(昭和31)年、高度経済成長期の入口ともいえる時期である。「もはや戦後ではない」と記された経済白書が象徴するように、新たな時代の到来を感じさせる年だった。その幕開けに大惨事が多くの人々に忘れがたい記憶を残した。 ■大晦日、3万人が詰めかけた越後一宮・彌彦神社 “越後一宮”の別名を持つ彌彦神社は、新潟県西蒲原郡弥彦村、標高634メートルの弥彦山の山麓に鎮座する神社である。弥彦山を神体山として祀り、古くから地元の信仰の中心として重要な役割を果たしてきた。周囲には豊かな自然が広がり、美しい景観で多くの参拝者を魅了している。 新潟県の中でも農業が盛んな地域に位置するこの神社では、地元住民にとって大晦日から正月にかけて年をまたいで参拝する『二年参り』が特別な行事だった。特に1956年は豊作に恵まれ、大晦日に雪が降らなかったこともあり、例年を大幅に上回る約3万人の参拝者が集まった。 国鉄は臨時列車を運行し、大型バスでの来訪者も相次いだ。約3万人という数は現在の神宮球場の観客席を埋め尽くす規模に相当する。東京の明治神宮や京都の伏見稲荷大社のように広大な敷地を持たない彌彦神社に、これほどの人々が一度に押し寄せたことが悲劇の引き金となった。