「もともと男? そんなの関係ないじゃん」日本で初めて性別適合手術からプロレス復帰するエチカ・ミヤビが目指す「理想のレスラー像」
わたしたち体育会系LGBTQです
新興プロレス団体〈PPP.TOKYO〉所属のエチカ・ミヤビは、MtF(出生時に割り当てられた性別が男性で、性自認が女性のトランスジェンダー)の女子プロレスラーだ。「強くて、かわいい女になりたい」と、9月に性別適合手術からのプロレス復帰を目指す彼女の覚悟とは。 【画像】性転換手術直後のエチカ・ミヤビ 『わたしたち、体育会系LGBTQです 9人のアスリートが告白する「恋」と「勝負」と「生きづらさ」』より一部を抜粋、編集してお届けする。
コロナ禍で「女として生きる」と決めた
大学に入学したエチカは、それなりに楽しい学生生活を送っていた。得意の英語は海外留学でさらに上達していた。柔道も趣味で続けていた。大学生ともなれば周囲もある程度、大人扱いをする。柔道に励んでいる町道場では、学生の部活とは違って集っている選手の年齢層もバックボーンもさまざま。 練習が終われば、それぞれのプライベートを尊重する空気がある。性をめぐる葛藤が消えたわけではなかったが、町道場では〝男子の体育会ノリ〟を強要されることもなかった。そんな生活は、心地いいといえば心地よかった。だが、大学3年生になる年、生活が一変する。コロナ禍が訪れたのだ。 「大学の講義はほとんどリモートになり、家から出る時間が全然なくなって。それで、ひとりでいろいろ考える時間が増えたんです。性別についてもそう。今までは葛藤しつつも周囲に本心を隠してきた自分。本当は何をしたいのか、どう生きたいのか。 言葉では表せないくらい、すごく考えて。それで、やっぱり自分の好きなように生きるのが一番じゃないか、という結論に至りました」 こうしてエチカは「女として生きていく」と腹を決めた。好きなことなら一生懸命になれる。性別は人間がアイデンティティを形成するうえで重要な要素である。偽り続けるエチカが限界に達する日は、遅かれ早かれ訪れたのだろう。 ただ、決断できた理由として、自身の環境や社会の変化の影響があったのは確かだ。20歳を過ぎて大人になり、周囲のジェンダー的な同調圧力から多少なりとも解放されたこと。同調圧力を受けても、一定の距離の取り方が身についてきたこと。 LGBTQという言葉が広がり始め、世間の理解も深まってきたこと。そして、多様な性的マイノリティの人間がネットやSNSで自らについて発信を始め出したことなどが挙げられる。 「自分のなかでは高2のとき、YouTubeで初めて見た青木歌音ちゃんの存在が大きかったです。『男がこんなにかわいくなれるんだ!』って驚いて」 青木歌音は若者たちに支持され、テレビ番組で女子アナとして抜擢されたこともある、MtFの人気YouTuberである。 「動画では『チンチンはとりました!』なんて話していて、『あれってとれるんだ!』と初めて知りました。よく知らなかったLGBTQのことについても、動画を通じてだんだん知識が増えてきて。『自分は変なヤツなんじゃないか』とひとりで悶々としたり、悲しくなったりするような気持ちが少しずつ薄れていくきっかけでしたね」 そんな憧れの人物にも勇気づけられて、エチカは女性としての一歩目を踏み出す。ステイホームで家にいる間、髪を伸ばし、ずっと憧れていたスカートをはき始めた。歌音のように、いつかは性別適合手術をすることも決めた。 そのための手術費を稼がなければと、大学を休学してアルバイトに励んだ。そして、自分の好みを否定せずに育ててくれた母に人生の一大決心を報告するため、生まれ変わった女性の姿で実家に帰った。 「最初は驚かれましたけど、すぐに受け入れてくれました。もともと母は僕の好みを重してくれる人でしたし、看護師なのでLGBTQについての知識や理解もあったのだと思います。おばあちゃんは最初、いとこのお姉ちゃんと間違えていましたけど(笑)。とにかく家族や親族は、わりと早く理解してくれました」
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