ミャンマーで取材中拘束「男2人に銃口を向けられた」ジャーナリストの久保田さん会見(全文1)
今年7月にミャンマーで抗議デモを取材中に拘束され、およそ3か月半ぶりに解放され帰国したジャーナリストの久保田徹さんが28日午後、日本外国特派員協会(東京・千代田区)で記者会見を行った。 【動画】ミャンマーで拘束 ジャーナリストの久保田徹さんが会見(2022年11月28日) ※【**** 00:35:30】などと記した部分は、判別できなかった箇所ですので、ご了承ください。タイムレコードは「ミャンマーで拘束 ジャーナリストの久保田徹さんが会見(2022年11月28日)」に対応しております。 ◇ ◇
支援いただいたすべての方々に、あらためて感謝申し上げたい
司会:久保田さん、よろしくお願いします。 久保田:よろしくお願いします。久保田徹と申します。まず初めに、私の解放に当たってご支援いただいたすべての方々に、あらためて感謝を申し上げたいです。 署名活動に参加してくださった方々、また、8万人を超える署名が集まり、そういった署名を日本政府関係者に届け、働き掛けをしてくださった支援者の方々、また、そうした働き掛けを大きく報道してくださったメディア関係者の方々。また、そうした働き掛けを受け、各方面からミャンマー国軍に粘り強く交渉をしてくださった日本政府の関係者の方々、中でも、在ヤンゴン日本大使館が粘り強く交渉をしてくださったことは非常に大きかったと考えています。そうした1人1人、すべての方々の存在がなければ、私は今ここにいることができなかったと思います。本当にありがとうございました。
ヤンゴンで拘束された経緯と状況
今回の会見の目的は、私がミャンマー、ヤンゴンにて拘束された経緯と、その状況について説明するとともに、何よりもミャンマーで起きていること、そこで生きている人々に注目を集め、知ってもらうことを目的としています。また、知ってもらうことによって、ミャンマーにて生命の危機にひんしている人々の状況や、拘束され自由を奪われている人々、また亡命者、難民として国外へ逃れざるを得なくなった人々についての状況が改善されることを願っています。 まずは、私が拘束されるに至った経緯と、拘束中の状況について説明させていただきます。私は2022年7月14日にミャンマーに入国しました。私にとって3年ぶりのミャンマー渡航で、また、クーデター以降、初めての渡航となりました。入国したのは観光ビザです。渡航の目的は、ヤンゴンで慈善活動を行っているある人物についてのドキュメンタリーを制作することでした。彼と私は4年以上前からの友人でした。多くの人々がミャンマー国外へ逃れざるを得なくなっている、私の友人の中では多くの人々が逃れざるを得なくなっている中で、なぜ彼は現地に残っているのか、その理由を知り、伝えることが非常に重要だと思いました。ミャンマーに関する報道も少なくなっていく中で、彼の姿を通じてミャンマーの今の現実を伝えることが非常に重要だと思いました。 3年ぶりに訪れたヤンゴンは、思ったより変わっていないなというのが当初の印象でした。しかし、その静寂が仮初めの姿に過ぎないということは、撮影を始め、取材をしていくうちに、すぐに分かりました。Facebook上で国軍を批判する投稿をしただけで逮捕され、半年間、獄中で過ごした青年の話を聞きました。路上生活者で、物乞いをして暮らしている女性に会いました。警察によって暴力を振るわれ、持っていたわずかばかりの現金を奪われたと、涙ながらに訴えているのを見ました。そのような現実がある中で、ヤンゴンでは表面上に静かに見えていました。声を上げたくても上げられない人々がいる、そのような現実を伝える必要があると考えた結果、デモを撮影する必要があるのではないかと考えるようになりました。 ミャンマーでは、場所と時間を事前に告知するデモ、通常の形のデモを行うことはできません。逮捕されてしまうからです。2021年の12月には、デモ隊に対して国軍の車が突入し、複数人が殺傷される事件も起きています。従って、人々はフラッシュデモと呼ばれる形で、時間や場所を告知せずにゲリラ的に集まってその意見を表明する形でデモ活動を行っていました。