福島から大阪へ避難10年・夫婦の思い「子どもたちはがんばってくれました」【#これから私は】
「南相馬には戻れない」腹をくくって大阪での治療院開業
それから数か月、大助さんは、府内各地で鍼灸の仕事をその手伝う日々が続いたが、ある日、自宅最寄り駅である地下鉄田辺駅を降りた時に同駅前のビル窓ガラスに大きくはられていた「空店舗」の文字を見つけた。 直感で「駅前なら道案内もしやすいし、自宅からも近い。ここならやれるかもしれない」と思い、自身の鍼灸院「かとう鍼灸治療院」を開業した。開業日は2012年3月10日。震災発生1年を前にした開業だった。 大助さんは「子どもたちのことを考えると、南相馬の現状では連れて帰れない。自分だけが南相馬へ帰って治療院を再開することもできない。もうここで暮らしていくしかないと考え、腹をくくりましたね」と当時を振り返った。
南相馬の治療院も月に1週間ペースで営業再開
開業後は苦労しながらも、少しずつ患者が増えてきた。そして2015年には、実家に残した治療院の再開にもこぎ着けた。 「実は、南相馬の治療院に来てくれていた患者さん夫婦が、大阪まで治療を受けるために来てくれたんです」と大助さん。避難後も、南相馬で診ていた人たちから、はがきも来るなどしたことが、再開のきっかけだった。 その営業再開以来、大助さんは一度も欠かさず月に1週間、飛行機や電車を乗り継いて南相馬市の実家に戻り、多くの患者の治療を続けている。
文句ひとつ言わず、がんばってくれた娘3人
そんな大助さんを支え、3人の娘の子育てもしてきた清恵さんが、ふと、こんなことを話をしてくれた。 「私たちは必死でここまでやってきましたが、数年前、子どもたちのことを考えてやれなかったなあって思ったことがあったんです」 地震の後、ほとんど縁もゆかりもない大阪へ来た子供たち。大阪に来てから2年後、当時9歳になった二女は避難時のことを「旅行に行くと思ったけど、なんでここにずっと住んでるの」と話したことがあった。 そして、11歳の長女も同じころ、小学校で行われた花火大会をみていた時、涙を流しながら花火をずっと眺めていたという。 「自分たちはベストを尽くしていたつもりだったけど、ケアが足りなかったのかなと思いました」と話す大助さん。 清恵さんは「大阪へ来た時も、空港の床や6畳の部屋で寝泊まりした時も、文句ひとつ言わず、がんばってくれました」と涙を流しながら話していた。