福島から大阪へ避難10年・夫婦の思い「子どもたちはがんばってくれました」【#これから私は】
目標に向かってがんばる娘たち
長女は南相馬市にいたころからピアノを習っており、地震発生の翌12日はピアノの発表会の予定だった。大阪に来てからは弾く機会がなかったが、加藤さんの様子を報じたテレビのニュース番組を見た人がきっかけで、半年間ボランティアで長女にピアノを教えてもらう人が現れ、その後も2年ほどその教室へ通ったという。 長女は後に「看護師になる」という目標を立て、現在は看護学校の1年生。祖父が医者であること、そして、大助さんのアドバイスもあって、この道を選んだそうだ。 高校2年生の二女は、先日、鍼灸の専門学校のオープンキャンパスで仕事を体験し「こんな楽しい仕事はない」と話し、現在はその道へ進むべく勉強中だという。父親と同じ道となるが、大助さんも「頑張ってほしい」と目を細めながら話す。 中学生の三女はクラブで陸上競技に励んでいる。地震の時は3歳だったが揺れのことは覚えており、大阪の幼稚園に入園したころは、迎えのバスが来ると「地震が来たらどうするの」と清恵さんから離れようとしなかった時もあったという。 清恵さんは「福島県では、多くの親せきが月に一度自宅に集まったりしていたので、楽しかった記憶も多く、今でも『福島に帰りたい』と話すことがあります。けど、友達と学んで遊ぶ学校生活を存分に楽しんでいるようなのでホッとしています」と笑みを浮かべた。
自分たちを迎えてくれた街の人たちへの思い
大阪に来て10年。清恵さんは「東住吉のみなさんには、本当によくしてもらっています。近くには長居公園もあるし、けっこう静かですごしやすいんです。近所のスーパーの中にある商店のみなさんも、いつも声をかけていただいて。今でもみなさんは、子どもたちの成長をみては喜んでいただいてます」と、うれしそうに話していた。 大助さんは「あの時、大阪へ呼んでくれた友人、そして地元のみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。大阪だからこうしてやってこれたと思います。もちろん、南相馬の事も一日も忘れたことはありません。今はただ、精一杯がんばるだけです」と話してくれた。