技術力とアイデア力で、国内のくつ下製造を支える「SOUKI」
「日本一の靴下生産地」として有名な奈良県。この地で約100年にわたって靴下の製造に携わり続けている会社がある。「株式会社創喜」だ。 同社では、古くから所有している機械を生かしながら、「自転車を漕いで靴下を作る」という自社でしかできない“ニッチな体験の提供”にも挑戦している。 今回は、同社で代表取締役を務める出張さんに、会社の歴史や製造している靴下の特徴、自社ブランドなどについて話を伺った。
丈夫で蒸れにくい、ローゲージソックス
ー御社の歴史を教えてください。 弊社は、1927年に私の曽祖父が創業しました。もうすぐ創業100年を迎えますが、法人化したのは2014年と、比較的最近なんです。私が社長に就任したのは法人化したときで、そこから経営もある程度軌道に乗ってきています。 この辺りは綿の産地で、江戸時代までは大和木綿や大和絣の産業が盛んでした。 しかし、明治時代に入り、安いものが海外から入ってくるようになったのを機に廃れていって。代わりに、靴下産業が根付いたという歴史があります。 曽祖父は農家をしながらどこかで靴下の作り方を学んできて、副業として家の納屋で靴下を作り始めました。当時、日本では機械を使って靴下を作るのは珍しかったのですが、曽祖父はその頃から機械を使って作っていました。 ー奈良は靴下の産地としても有名ですよね。広陵町には、靴下を製造している会社はどのくらいあるのでしょうか。 全盛期は1990年代で、人口3万3,000人ほどの広陵町に200~300軒の靴下工場があったと思います。それが今では10分の1。おおよそ30軒ほどになっています。 「日本一の靴下の町」と言われていますが、日本で流通している靴下はほとんどが中国製のものです。国産は1割ほどで、そのうち約6割が奈良県で作られています。 ー靴下は外国製のものがほとんどなのですね。会社によって、製造している靴下に違いはありますか? もともと靴下作りは分業制だったので、カジュアルなもの、レディース向け、メンズ向け、ビジネス用などに分かれており、使う機械や素材もそれぞれ違っていました。 ただ、今はそうも言っていられなくなったので、タイツを作っていた会社が靴下を作り始めたり、スポーツ用の靴下を作っていた会社がカジュアルなものにも対応したりしています。各社で得意な分野はありますが、境目はなくなってきている状態です。