時代を見るためSNS活用 写真家コバヤシモトユキの生き方
雑誌『ナンバー』ではスポーツ選手も被写体に
そして10年もすると、どんなスケジュールをこなしていたか記憶ができないほど売れっ子になり、20代前半の頃ヨーロッパ、ジャマイカ、アジアを旅した経験をもとにニューヨークはじめ世界を舞台に活躍するようになる。もともと戦争カメラマンに憧れていたので、内戦さなかの北アイルランドにも行った。ペンシルベニアではアーミッシュを、サンタフェではネイティブ・アメリカンのファミリーを、そしてメキシコではマヤ文明の祭りを撮り、フィンランドなどにも行った。 雑誌『ナンバー(Sports Graphic Number)』ではマイケル・ジョーダンやミハエル・シューマッハ、カズこと三浦知良をイタリアで撮るなどスポーツ選手も被写体となった。
ヒットしたスクールガールシリーズ、原点は卒アル
そして、日本の女子高生を被写体にしたスクールガールシリーズでは7冊の写真集を出版し、作品『innocent youth』はニューヨークのエージェンシーART+COMMERCE が選定する2007年の世界の優秀写真家13人に日本人として唯一選ばれた。 「僕の最初の印刷物は学校の卒業アルバム。学生の頃、友達のスクールライフを被写体に撮っていたんです。それがスクールガールにつながった面もあります。9/11のテロがあってアメリカのディレクターに『日本がテロに遭ったとしたら、あなたにとって写し忘れているものがあるんじゃないの?』と問いかけられ、それでスクールライフというある意味自分の原点に立ち返り、スクールガールの写真集を出したんですね」
その後もコバヤシさんは精力的に活躍し、2011年にはAKB48のDVD『AKBがいっぱい』のジャケットを撮影、この広告はタワーレコード、TSUTAYA、109、センター街などに掲出され渋谷をジャックする形となり話題を呼んだ。また同年、東日本大震災で被災した大船渡の小学校の全員の記念写真を撮ったり、仙台で活動するアイドルの記録写真を撮るなどし、東北の復興をテーマにした写真展『スクールガールジャパン』も開催。13年には桐木憲一氏原作のコミック『東京シャッターガール』の映画化に際し手塚眞氏、寺内康太郎氏とともに映画監督としてメガホンをとった。広告の仕事もTOYOTAプリウス、帝国ホテルなどビッグクライアントの仕事を抱えるようになった。さらにここ15年ほどはディレクターのワキリエ氏とともにウエディングのホテル撮影やドレス撮影を手がけ、業界全体を大きな規模に成長させた活動をしている。