【福島原発事故11年】「小さな安心のために大きな安全を犠牲に」未知のリスクと向き合えない日本 第二次民間事故調・鈴木一人座長に聞く #知り続ける
中長期的なリスクには「本当に起きるの?」と損得勘定が出る
――コロナ対策の問題とも共通する部分があるような気がします。 興味深いと思うことがあって、前首相の菅義偉さんは、意外に新型コロナ対策で「自分がこうすべきだ」と思うことを実行した人だと思うんです。でも不人気なんですね。菅さんを必ずしもいい政治家だと言うつもりはないのですが、コロナに関しては、政治と科学の関係でむしろ政治を前面に出した。そういう政治家が日本ではあまり人気がない。 ――やっている政策をどのように国民に伝えるか、という部分が不十分だったのかもしれません。 それは間違いなくあると思います。でも逆に言うと、国民は伝え方を評価して政治家を選んでいるのであって、政策の中身では選んでいないということですよね。国民は安心感が欲しい。つまり、菅さんのしゃべり方は安心感をもたらさないんですね。ここが、やっぱり「安心と安全」の問題につながってくる。日本のリスクに対する考え方は、安心と安全のバランスが悪いというか、安心を優先させ過ぎて、結果として安全が危険にさらされている印象を受けます。 ――中長期的なリスクへの対応の鈍さみたいなことにもつながっていますか? 目先の不安を解消してくれると、国民には人気が出やすい。「皆さんが心配しているこのリスクにこう対処しました」っていうような安心感ですね。しかし、「中長期的にはこんなリスクがあるかもしれません」というようなことは、ボヤっとしてみんなよく分からない。だから「本当にそれを今やって何かいいことあるの?」「本当にそんなことが起きるの?」という反応になる。安心感を生まない。そうなると、「起きるかどうかわからないことのためにこんなお金使ってどうするの?」というふうに、目先の損得勘定が出てきてしまう。 それが本当の意味で、「小さな安心と大きな安全」の問題なのかなと思うところもあります。つまり、大きな安全の話をすると、とたんに目先のコストの問題になってしまう。 中・長期的なリスクは「こうなるかもしれない」という話なので、確たるエビデンスがあるわけがない。「起きるかどうか分からないんだから、大金をかけて対処する必要はない」。このような発想が、アンノウンなリスクに対する備えを一層難しくさせている気がします。