有森裕子(元マラソン日本代表)の名言「初めて自分で自分をほめたいと思います」──パリ2024オリンピック特集「レジェンドが名場面を振り返る」
マラソンの日本代表はどう戦うべき?
──日本のマラソン選手をどのように見ていますか? 男子は一人ひとりが自分と向き合って、自分のペースで、しっかりとしたものを作りあげている選手が増えています。ただ世界と比べてしまうと、まだまだ身体的にも及んでいないところはあります。それを追いかける環境も整って、勝負に挑むメンタルも育ってきていると思います。 女子は実業団、監督主導による育成というシステムが変わってはいないので、まだまだ一皮二皮剥けなくてはいけない。個の強さをつけていかなければいけません。身体能力は高くなってきているので、あとは主体性のある目標設定。どうなりたいかを明確にして、その思いを強く持つことでしょうか。タイムも上がっているので楽しみです。 ──日本陸上競技連盟の副会長として、今回のオリンピックの日本選手について展望をお聞かせください。 まず、オリンピックのマラソンは速い人が勝つわけではなくて、強い人が勝つもの。その日に強かった人が勝つので、持っているタイムや速さだけで決まるものではないんです。その日、その瞬間に、何をプラスに変え、何を力に変えてレースができるか。つまり、すべての人に勝者になる可能性があるんです。 男子は世界のトップとタイムの差はありますけれど、赤崎暁君と小山直城君は非常にパワフルな走りをします。大迫傑君のレース感覚にはベテランならではの強みがあります。MGC(日本陸連が主催するオリンピックのマラソン日本代表の選考競技会)という育成プランを経て安定した力を示した3人ですから、パリオリンピックでも上位に食いこんで戦える3人だと思っています。 女子は若い世代に顔ぶれが変わって、パワーをつけています。一山麻緒選手、前田穂波選手はオリンピックを経験している強みがありますが、2人とも東京大会には心残りがあるはず。スタミナも技術も磨いてきているので、冷静になって諦めずにに食らいついていければ、ある程度のところには届くと思うんです。初出場の鈴木優花選手の特徴は、フォームと馬力が合致しているところ。鉈に近いイメージの選手です。前田選手はカミソリですね。一山選手は技術とメンタル的なものがうまく作用するかどうか。オリンピックを経験している強みがありますから、非常に楽しみなレースをしてくれそうな感覚はあります。 ──パリオリンピックのマラソンはどんな展開になりそうでしょうか? パリは完全に観光を目的としたコース設計です。広範囲に渡ってアップダウンがある作りなので、レース展開は複数が考えられます。アフリカ勢が有利と単純には括れない。夏のマラソンコースとしては過酷だと思われるこのコースが、ドキドキさせるような展開を引き出す可能性があるのではないでしょうか。 ──単純なスピード争い、速さ争いではないのですね。 今のパリ、フランスの猛暑。速さは微妙かもしれません。かなりきついところにアップダウンが来るので、レース展開を考えてやらないと潰れます。極端な高速レースになるとは思えないですね。 ──マラソン以外の陸上競技も含めて、オリンピックでいつも楽しみにしている競技はありますか? 陸上は男子の短距離。たとえば、バルセロナ大会の時は箸にも棒にもひっかかっていないんです。短距離は予選で全部敗退が当たり前。100m、200m、リレーといった競技は、どん底から努力して這い上がってきた歴史があるんですよ。今は準決勝や決勝に残りそうなレベルに近づいていますし、リレーなんて決勝に出ていますからね。夢のような楽しさを味わえる競技になったこともあって、短距離やリレーは思い入れがあります。 ──リオ大会では、陸上男子400メートルリレーで銀メダルを獲得しました。 東京大会は残念な結果でしたが、今回もやっぱりリレーは楽しみです。他の競技でいうと、卓球やバドミントンが好きです。あの動体視力、あの神業は見ているとハラハラするんです。世界と戦えるレベルにいる競技ですし。基本的には個人競技が好きですね。個にかかるプレッシャー、個にかかる圧が感じられるのが楽しい。あの表情とか。 ──すごく有森さんらしいお答えだなと思いました。それでは最後の質問です。大一番の場面、有森さんにとって心技体の中で、何が重要なんでしょうか。 心です。心が8割って言いたいぐらい。心8、技1、体1ですかね。マラソンは技がないですし、とくに極端に道具に頼らないですから。そもそもマラソンは確定要素が圧倒的に少ないんです。決まっているのは、42.195kmという長さだけ。それでも、コース設計や走る場所によっては42.195kmよりも長く走るかもしれないですし、短く走れるかもしれない。天気は予想できない。戦う相手も人数も走ってみないと特定できない。みんな違う、全部違うんです。不確定要素ばかり。 唯一整えられるのは心なんですよ。もう、そこだけ。ここが面白い。だから逆に想像がつかないことが起こる。ドラマ性があるということになりますかね。人間の人生と同じで、考えていた通りにはならない。そういう時に自分がどう行動すべきかを教えやすい、そのヒントを何となく伝えやすい、見出しやすいのがマラソンという競技なのかもしれません。だから、みなさんも感情移入しやすいのでしょうね。技が足りなくても、体が劣っていても、心持ち次第でゴールできちゃうんですよ。