「科学者vs.哲学者」のサイエンスウォーズは「物理帝国」黄昏の象徴?
基礎かインパクトか
SSC中止の素粒子物理学への影響という意味ではなく、そこで巻き起こった議論で提起された論点が重要である。このことをめぐって、筆者は『科学と幸福』(岩波書店、95年/岩波現代文庫、2000年)という1冊の本を書いている。 課題は20世紀の物理学の見方にも関係するもので広範にわたるが、「制度としての科学の公共性」と「文化世界での科学の位置」に大別されると思う。純粋科学という漠然とした営みが、外部と関わる2つの面である。 前者の論点の1つは「基礎かインパクトか」である。推進派が「物質理論の基礎は素粒子論であり、SSCでは物質理論なら必ず出てくる質量の起源が解明される。他はこの基礎の上に構築される応用である」と言えば、批判派は「素粒子論は物質理論の基礎ではない。現実には素粒子論が他分野を基礎にしてできてきた。その成果は他にインパクトがない」と応酬する。 純粋科学の研究そのものは他人に迷惑をかけないならまったく自由である。しかし、国家が支援したり振興したりするべきだという主張をするには、公共性の議論が必要になる。 その基準は「制度としての科学」へのインパクトである。それには場の量子論のような、対象を超えた理論としてのものから、他分野の科学を経て工学、医療、環境などへの応用にまで及ぶものがある。これが具体的な関わりを離れて、「基礎である」ことで十分だと推進派は考える。 すると、基礎という言葉の使い方で意見が分かれる。推進派の”基礎~応用”は、歴史を後で整理した静的な見方である。しかし、別の見方として、何を基礎にして素粒子論はできてきたかという動的な”基礎~応用”の用法がある。また、物質や光の研究者が素粒子の統一理論をできあがった基礎として学び、その応用として研究を展開してはいないという実態がある。さらに、将来、放射光や中性子のように、ミューオンや反陽子も科学技術のインフラになる可能性もあるが、当面、統一理論はいらない。