3.11東日本大震災から10年…釜石で被災した神戸の菊池流帆が起死回生のJ1初ゴールを刻んだ意義
敗色濃厚のヴィッセル神戸を救ったのは、10年前に岩手県釜石市で東日本大震災に遭遇した24歳のセンターバック、菊池流帆(りゅうほ)が出場16試合目で決めたJ1初ゴールだった。 徳島ヴォルティスのホーム、ポカリスエットスタジアムに乗り込んだ6日の明治安田生命J1リーグ第2節。神戸へ勝ち点1をもたらす同点弾が生まれたのは、0-1で迎えた後半42分だった。 左コーナーキックからのこぼれ球を拾ったFW古橋亨梧が、ペナルティーエリアの外からミドルシュートを放つ。枠をとらえた一撃は徳島のGK上福元直人にセーブされ、さらに途中出場していた味方のMF佐々木大樹の身体に当たって、ニアポスト側にいた菊池の目の前に転がってきた。 「こぼれ球がたまたまいいところにきたので押し込むだけでした。そこから逆転という流れにもっていけたらよかったんですけど。常に勝利を目指しているので、あまり喜べない感じですね」 とっさに左足を思い切り伸ばし体勢を崩しながらも、マークされていたMF岸本武流より一瞬早くつま先をボールにヒットさせた。試合後に笑顔を浮かべなかった姿とは対照的に、ゴールを決めた後には雄叫びをあげ、ガッツポーズを繰り返しながら最終ラインへと戻っていった。 中学2年生の3学期を終えようとしていた、2011年3月11日午後2時46分に襲われた、経験したことのない大きな揺れはいまも忘れられない。教室から校庭へ避難しろ、と指示した教諭たちの叫び声は、すぐに「近くの山へ逃げろ」に変わった。 津波が市街地に迫ってきていた。 幸いにもけがなどを負うことはなかったが、小学生時代にサッカーを教えてくれた、地区選抜のコーチが亡くなったと後になって知った。それまで無我夢中でボールを追ったグラウンドには仮設住宅がところ狭しと建ち並び、大好きなサッカーをするどころの状況ではなくなった。 打ちひしがれた心を再び高ぶらせてくれたきっかけは、4月になって支援活動で岩手県を訪れていた横浜FCが、釜石市内で開催したサッカー教室だった。FW三浦知良らとボールを追い、サッカーをする喜びを取り戻した少年は高校サッカー界の強豪、青森山田への進学を決意する。