ジョーダン・ヘンダーソンが振り返る、リヴァプールがマドリードに敗れた経験の差。「勝つときも負けるときも全員一緒だ」
9シーズンにわたって指揮をとった名将ユルゲン・クロップの退任により、ひとつの時代に終わりを告げたリヴァプール。本稿ではクロップとともに新たな黄金時代を築き上げたジョーダン・ヘンダーソンの自著『CAPTAIN ジョーダン・ヘンダーソン自伝』の抜粋を通して、主に2015-16シーズン以降にリヴァプールが歩んだ軌跡に焦点を当てて振り返る。今回は2017-18シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝、ウクライナの首都キエフの地でレアル・マドリードと対戦した試合について。 (文=ジョーダン・ヘンダーソン、訳=岩崎晋也、写真=ロイター/アフロ)
試合の重要性を思うと眠れず…「みなを失望させたくない」
国内リーグが終了してからチャンピオンズリーグの決勝まで、13日の間隔があり、もちろん入念な準備をした。僕のエネルギーはすべてその試合のために注がれた。キーウに入るまえの火曜日、アンフィールドで練習しているとき、イングランド代表のガレス・サウスゲート監督から電話が入った。2018年のロシア・ワールドカップのキャンプに向けて、ハリー・ケインを主将にすると決めたという。 僕はその判断を尊重した。また、僕のチームへの関わりかたは変わらなかった。ガレスのリーダーシップ・グループのひとりとして、精一杯ハリーを支えると伝えた。ともあれ、それについて考えている時間はなかった。僕の意識はレアル・マドリード戦にすべて注がれていたから、すぐに気持ちを切り替えた。人生最大のゲームが近づいており、ほかのことを考える余裕はなかった。 決勝の前日は眠れなかった。これは僕が選手としてずっと、いや生まれてからずっと夢見てきたものだ。また、リヴァプールにとってのこの試合の意味についても考えた。この大会におけるクラブの歴史は強く感じていたし、70年代や80年代のリヴァプールの偉業はユーチューブの動画でしか見たことがないが、2005年のイスタンブールの奇跡についてはよく覚えている。僕の友人である(ジェイミー)キャラガーやスティーヴィー(スティーヴン・ジェラード)の名を不滅のものにした試合でもある。 これからの試合の重要性を思うと眠れず、ベッドに寝ていても目が冴えてしまった。頭のなかはさまざまな考えでごちゃごちゃだった。試合のことや歴史、送られてくるメールのことを考えているうちに12時になり、1時になった。たとえば父は、試合当日にはメールしたくないからいま送るが、おまえのことが誇らしい、とメールしてきた。みなを失望させたくない、という思いが湧いてくる。 明け方に少し眠ったが、翌日はまだ興奮状態だった。疲れはなく、動ける状態だった。一日中、アドレナリンが噴きでていた。その試合についてはずっとひそかに自信を持っていた。そもそも僕たちは、決勝に進出するとも、優勝のチャンスがあるともみなされていなかった。試合前にも、レアル・マドリードの先発は全員がチャンピオンズリーグの決勝でプレーしたことがあるという話題が出ていた。僕たちにはその経験がある選手はいなかった。