ジョーダン・ヘンダーソンが振り返る、リヴァプールがマドリードに敗れた経験の差。「勝つときも負けるときも全員一緒だ」
「勝つときも負けるときも全員一緒だ」
試合後、僕たちは元気づけあった。僕はロリスに少し言葉をかけた。ほかの選手も多くが同じようにしていた。言い古された言葉だが、勝つときも負けるときも全員一緒だ。試合後、フィールドをまわってファンに感謝を伝えているとき、ロリスがほかの選手から少し離れていたという指摘もあったが、それは状況を誤解している。彼は自らファンたちのところへ行き、両手を上げてその日の結果について謝罪していた。メダルの授与式のあと、みながそれぞれの考えに沈んでいた時間があった。だがそれは、彼が見放されていたとか、そういったことではない。たぶん彼はひとりになる時間が欲しかったのだと思う。誰だって、そんなときはある。 チャンピオンズリーグの決勝でプレーするのは僕の夢だったが、トロフィーを掲げるのにあれほど近づいて、あと一歩というところでそれが叶わなかったことは受け入れがたかった。試合終了のホイッスルのあと、タッチラインまで歩いていくとき、トロフィーはまだ台座の上に置かれていたが、目を向けることはできなかった。いまでも、マドリードの選手たちがそれをいつも手にしている、ごく当たり前のトロフィーのように掲げ、祝っていた姿を思い出せる。 あの晩は、さまざまな挫折を味わわなければならなかった。運がなかっただけだというなら、そうかもしれない。だがもっと大きく状況を捉えれば、あれはチームの進化を加速させるために、乗り越えなければならない苦難だった。そのためには、最も大きな試合で勝つすべを知らない、という批判に立ち向かわなければならなかった。
「心配するな。また来年も戻ってくるんだから」
更衣室に戻ると、モーは病院から帰ってきていた。彼は取り乱していた。夢のようなシーズンが、こんな形で終わってしまった。彼が心を乱していたのは、決勝で敗れたから、というだけではなかった。 その夏、エジプトはワールドカップに出場することになっていたが、いい状態で大会を迎えるのはむずかしいだろう。いまはどんな話をしても、彼の心を軽くすることはできまい。ときには、どれほどチームメイトを慰めたくても、そっとしておくほかないという状況もある。その晩はロリスをひとりにしたが、明け方の帰国便では、隣の席に移動して腰を下ろした。 「どうだい?」「まあ、あまり元気とは言えないな」。さらに悪いことに、このあとはメディアによる報道や、とりわけソーシャルメディア上の反応が待ち構えていた。どこか遠くへ行き、休みを取って、ソーシャルメディアには手を触れないこと、君を非難しようとする愚か者は無視するんだ、と伝えた。よくあることだし、負けたのはチーム全体だ。君の責任じゃない。僕たちは誰かに罪をかぶせたりはしない。これまでも、これからも絶対にそんなことはしない。 だが実際には、サッカーはときに残酷だし、無慈悲なことも起こりうる。大一番での出来事ですべてが決まってしまうこともある。だから、最高のレベルで戦っている選手には、あまりに大きな重圧がかかる。ゴールキーパーはとりわけそうだ。そして、あの敗戦はロリスの責任ではないにせよ、また、たったひとつの敗戦であって彼がずば抜けたキーパーであるという事実は変わらないにせよ、現実には、彼はその後、リヴァプールでプレーすることはなかった。その夏、チームはアリソンを獲得し、ロリスはベシクタシュに期限付き移籍をした。 イギリスに帰る機内で、広い視野から物事を考えてみた。僕たちはまだチームとして完成していない。そんなことを考えながらメルウッドに着くと、家族たちの多くはまだ涙を浮かべていた。また移籍期間がやってくる。チームにはさらに選手が入ってくるだろう。アリソン、ファビーニョがモナコから加わる。1年前に結ばれた契約によって、RBライプツィヒからナビ・ケイタが加入する。ジグソーパズルの最後のピースがはまっていくような感覚だ。 僕が前向きな要素を探そうと思ったのは、キーウのスタジアムを去る直前にある会話を交わしていたからだ。バスのほうへ歩いていくと、ちょうど監督がタバコを吸っていた。彼は僕にハグをした。 「心配するな。また来年も戻ってくるんだから」。僕はいつものようにユルゲンの言葉を信じた。 ※次回第3回連載は7月10日(水)に公開予定 (本記事は東洋館出版社刊の書籍『CAPTAIN ジョーダン・ヘンダーソン自伝』から一部転載) <了>