親に反対されても芸能界にこだわった妹…14年前に家族の縁を切るまでのいきさつ
これまで2回(各前後編)に渡り「介護のきょうだい格差」に関しての記事を掲載した。第1回は筆者自身の体験だ。兄は母親から溺愛され、私は何かと非難されて育った。しかしいざ介護が必要となったら「やっぱり娘がいいわ」と言われ、兄もほぼなにもしないという話だ。第2回は高学歴の兄がやはり母から溺愛されているという方の体験だった。兄が金銭面で失敗して母に世話をしてもらう暮らしをしていたが、母が脳梗塞で麻痺になると介護をするどころか世話を放棄した……。 【マンガを読む】親の介護、家業、夫の世話まで…「自分の時間」がなかった50代女性 多くの方から「私も同じです」「きょうだいは何もしてくれません」というコメントをいただいた。きょうだいがいるにもかかわらず、介護が必要になった親のケアを一人で担い、きょうだい格差に苦しんでいる人がこんなにも多いのかと、驚いてしまった。 いただいたコメントには共感の他に、「そんなに親の介護がイヤならあなたも逃げればいい」「他のきょうだいは毒親から逃げただけ。この女性も文句を言わずに逃げればいい」「親を捨てられないこの人が悪い」というご意見もあった。確かにそうである。 かつて過干渉な親に対するカウンセリングを行なっている専門家に取材でお話をうかがったことがあった。その際にも「耐えられないのであれば逃げることは悪いことではない」「親から離れることに罪悪感を持たなくていい」という言葉を聞いた。自分自身と重ねて「そうか、私も逃げていいんだ」と救われ、私はお守りのようにその言葉を心の中に常に持っていた。だが、現状として私はまだ子どもの頃から合わないと感じている母親を捨てられずにいる。でも、寄せられたコメントから、“毒親との関係がつらければ離れてもいい”という思考はかなり認知されてきたのだな、と改めて感じた。 そんな中、こんなメッセージをいただいた。 「記事のコメントを読んだら、『毒親からは離れればいい』という意見が多いですね。私も親子だからって無理に関係を続ける必要はないと思っています。でも、少しだけ聞いてほしいお話があります。私には3歳下の妹がいて、彼女は約14年前に両親から離れていきました。10代の頃から両親と将来なりたい仕事で意見が合わず、様々な衝突を起こしてきました。家を離れたのは一時のことなのかなと思ったのですが、断絶は今も続いています。 2年前に父が認知症になり、母も脊椎管狭窄症から歩行が不自由になり、少し物忘れも出てきています。過去を振り返ってみたときに、両親にもそして私にも問題があったと思います。でも、月日を経て弱った両親は、毎日のように妹に生きているうちに会いたいと涙し、謝罪を繰り返しています。妹の人生は妹のもなので、こちら側の意見だけを一方的には言えませんが、捨てる側の苦労もあれば、捨てられた側の状況や思いもあります。残り少ないであろう両親の人生に、娘として姉としてどう向き合うべきなのか考えあぐねています」 このメッセージをくださったのは、都内に住む49歳のマリさん(仮名)だ。現在、夫と大学生の二人の息子さんと暮らしながら、都下に住む両親の介護をしているという。確かに「親との関係がつらかったら捨ててもいい」はひとつの対策ではあるが、残されたきょうだいの比重は重くなる。そして、捨てる側の気持ちはよく伝えられるが、残された側の人たちの声にはほとんど光は当てられない。今回は、メッセージをくださったマリさんに取材をさせていただき、「親から離れたきょうだいと残されたきょうだい」について前後編でお伝えする。 ※妹さんの状況に関しては、個人情報を守るために少し内容を変更して構成しています。