親に反対されても芸能界にこだわった妹…14年前に家族の縁を切るまでのいきさつ
街でスカウトされることが多かった妹
マリさんには3つ年下の現在46歳の妹・エミさん(仮名)がいる。 「現在のお話をする前に、妹がなぜ両親や私から離れたのか、お話したほうがいいと思うので、そこからお話ししてもいいですか?」とマリさんは話を始めた。 幼い頃、マリさんと妹さんは、とても仲がいい姉妹だったという。 「妹はいつも私にくっついてきて、私もそんな妹が可愛くて大好きで。妹は顔が可愛かったからか、保育園の頃から男の子によくいじめられていて、そんな妹を守るのが私の役目でした。妹は本当に可愛くて、周囲からもモデルになれる、女優になれると言われていました。 実際に小学生の頃は、街で何度かスカウトされることもあり、そのたび両親が断っていました。でも、妹自身はやってみたかったんですよね。親が断るたびに泣いていました。中学生になってからは、 “モデル事務所に入る・入らない”を理由に両親とよくケンカをしていました」
妹が知らぬ間に、際どいグラビアモデルに
マリさんの父親は大手メーカー勤務で、母親は専業主婦。父親の実家は教師が多く、マリさんの家も他の家に比べても厳しい家庭だったという。門限もあり、外泊など断じて許されないことだったという。しかし、妹は高校入学後から親に反発し始め、門限を破るようになり、夜遅くまで渋谷で友だちと遊んで帰ってくるようになった。さらに、親に内緒で、ギャル系雑誌の読者モデルやヘアモデルなどのアルバイトも始め、どんどんと服装が派手になっていったという。 「夜遅く父親と妹の怒号と母親が泣く声が聞こえる日々が続きました。結局、妹の主張に折れる形で、両親は勧誘がきていたモデル事務所に妹を入れました。最初は少し仕事があったようですが、華やかな仕事は思ったように来なくて、妹も悟ったのか、2年程度で事務所はやめてしまいました。それからも読者モデル的なことはチョコチョコとしていましたが、事務所をやめてからは、あれだけモデルになりたい、有名になりたいと言っていたのに家族の前では一切言わなくなりました」 家族は、妹は芸能界への夢を諦めたとホッとしていた。実際に、服飾の仕事がしたいと高校卒業には、デザイン系の専門学校に入学した。入学して半年ぐらいたったある日、ある事件が起こる。当時大学3年生だったマリさんは、小中学校の同級生と近所で偶然会ったときに、変なことを言われたのだ。 「マリの妹、グラビアモデルしての?」と、ニヤリと笑われたのだ……。 「何のこと!? って感じでした。そして、ニヤリと笑った顔に嫌な予感がしました。その足ですぐに書店に行って、載っていると言われた雑誌を見ると、妹が手で胸を隠したり、際どい水着姿でセクシーポーズで写っていたんです。もう、びっくりして手が震えました。親に言うべきか悩みながら帰ると、家の中から母親の泣き声が聞こえ、あぁ、もう知っているのか……と。もうそれからは修羅場です。 妹に詳しく話を聞くと、このグラビアの後に、ビデオの仕事の話も来ていて、うまくいったらメジャーな映画に出演できると言われた、と……。『最初はグラビアからでも有名になった女優さんはたくさんいる、私だってなれるってカメラマンも言ってくれた』というのが妹の主張でした。その後、妹が自分で契約をした事務所を詳しく調べてみるとAV制作と絡んでいる会社だということがわかり、我が家は大騒ぎになりました。 当時大学3年で就活が始まったばかりだった私は、もうやめてよ……、と正直関わりたくない問題だと思いました。あのとき、もう少し妹に寄り添う気持ちが私にあったら今の状況は変わっていたのかもしれません。でも、今思うと当時の私は、可愛いと言われてモデルだの芸能界だのと言っていた妹に嫉妬していたのかもしれません。私はルックスを褒められたことはありませんでした。成績は悪くなかったので、外見よりも頭でしょ、とどこか妹を見下していたところはあったと思います。妹にもそんな気持ちが出てしまっていたのかもしれません。だから、妹は私を幼い頃のように頼ったり、味方にしなかったんだと思うんです」 事務所の人たちと話してみると、やはりしばらくは「脱ぎなしではデビューできない」という説明だった。マリさんの両親は、妹を説得し、結局その事務所をやめた。だが、すでに撮影したものの取り下げや決まっていた仕事のキャンセルなどで、両親はその事務所にかなりの違約金を支払ったという。