どうなる?ジャマイカ戦が流れて急遽実現したA代表vs五輪代表の注目マッチ…重圧を受けるのは?
ファン・サポーターの間で待望論がありながら日本サッカー界でタブー視され、なかなかマッチメークに至らなかった夢の対決が突如として実現した。 日本サッカー協会(JFA)は1日、日本代表が3日に札幌ドームで予定していたジャマイカ代表との国際親善試合を急きょ中止とし、代替試合として同じ日時と舞台で、東京五輪世代のU-24日本代表とのチャリティーマッチを開催すると発表した。 新型コロナウイルスの防疫対策として、ジャマイカ代表は試合3日前の5月31日までの来日が義務づけられていた。しかし、アメリカ発とヨーロッパ発の2グループに分かれて移動したなかで、後者の選手10人が予約便に搭乗できなかった。 前者の選手10人とスタッフらは5月31日に到着していたが、10人では試合は成立しないため、主催者のJFAが中止を決めた。オンライン会見に臨んだJFAの田嶋幸三会長は、チャーター機の緊急手配などさまざまな手段が講じられながらも、ジャマイカ選手の半数が間に合わなかった理由をこう説明した。 「PCR検査の陰性証明書で不備があり、空港のカウンターで搭乗が許されなかった」 イングランドなどでプレーする選手たちが、経由地のオランダで足止めを食らった。日本では「鼻咽頭ぬぐい」と「唾液」で採取した検体のみが、PCR検査の対象として認められる。しかし、8人の選手が認識を誤り、「鼻腔」や「口腔」など別の方法で検体を採取したと、ジャマイカの日刊紙「ジャマイカ・オブザーバー」が伝えた。 ともに千葉県内で合宿中の両代表には、5月31日の夕食時にジャマイカ戦の中止と、2つの代表によるチャリティーマッチを調整中だと伝えられた。両チームの指揮官を兼任する森保一監督や代表スタッフからの提案だったと、田嶋会長は舞台裏を説明する。 「こういう試合は往々にして、A代表にプレッシャーがかかる。実際にJクラブでも二軍戦はあまりやらないし、タブー視されている。その意味では踏み切ってくれた森保監督が兼務で、すぐに対応できたのがよかったと思っている」 五輪の男子競技に年齢制限が設けられた1992年のバルセロナ大会以降で、A代表と五輪代表が対戦したケースはない。似たような顔合わせでは、川淵三郎監督に率いられたA代表が世代交代の過渡期にあった1980年12月に、往年の名ストライカー・釜本邦茂を擁する日本代表シニアと対戦して2-3で敗れている。