持病の87歳夫を看取った82歳末期がん妻が念願叶って「同日」に他界…看取り医「佳代子さん、やるな」と呟いた訳
■人生最期の同窓会 「強制退院させた高齢の男性患者がいるんだ。これからは在宅での治療が必要になるが、そちらで面倒をみてくれないだろうか」 ある日、病院勤務時代の同僚から連絡が入りました。73歳で末期の肺がんに罹っており、余命3カ月といいます。最近になって増悪する咳や血痰に加えて、息切れがひどくなってきたため、抗がん剤による化学療法を行おうとしたところ、看護師に手を出してしまった。副作用による精神的な一時の錯乱ではなく、性格面が原因と判断され、医療スタッフの安全面を考慮した措置でした。 その方のお名前は一戸次郎さん(75)。戻った自宅に伺うと、奥さんに加えて娘家族も一緒に暮らしていて、とても賑やかでした。皆さん、「こうなったら仕方がないよね」と言って、自宅で次郎さんを看取る覚悟ができています。居間に設置された介護ベッドの上で天井を眺めながら、私に気づいた次郎さんは「どうも」と一言。不貞腐れているようでした。 「次郎さん、病院で少し暴れちゃったんだってね」と私が話しかけると、次郎さんは一気にまくし立ててきました。 「俺はね、これまで3回も化学療法を受けているんだよ。先生だって、あれがどれだけ辛いものか知っているだろ。だから、そろそろ解放してくれたっていいじゃないか。病院の部屋でじっとしているのは嫌なんだ。もう30年くらい故郷の『ねぷた』を見ていないんだ。人生の最期に、小学校時代の同級生と一緒に同窓会を兼ねて、ねぷたを楽しみたいんだよ。そのぐらいのわがままをしたって、あの世で閻魔さまも大目に見てくれると思うんだよね」 ■宴会の最初に全員が一斉に薬を飲み始めた 私は青森市で開催される「ねぶた」も、弘前市で開催されるねぷたも両方とも観に行ったことがあります。勇壮さはねぶたに軍配があがりますが、どことなくもの悲しい感じが漂っているねぷたが好きでした。そんなことを話すと、次郎さんは食いついてきました。「先生、一緒に行かないか? 先生が一緒なら、俺の容体がおかしくなってもすぐに対応できるだろう。そのほうが、先生だって安心なはずだよね」 ねぷたの開催は3日後で、ほかの患者さんの診察の調整ですとか、酸素吸入器の手配を考えると、無理な相談です。事情を理解した次郎さんは残念そうでした。 ただ、末期がんの次郎さん、来年のねぷたに行けるチャンスはない。そこで、今度は私から提案をしました。それは、弘前にいる同級生を病院があるつくばに呼んで、同窓会を開催することでした。それなら、何かあっても私が対応できます。それに、筑波山のふもとの温泉街で、多少の無理をきいてくれる宿のアテもあったのです。 次郎さんが帰郷すれば、喜んで自宅に泊めてくれる同級生が何人もいるのだとか。それだけ仲がいいのなら、余命短い友だちのために来てくれるはずです。実際、次郎さんが声をかけると8人の同級生が来てくれることになりました。次郎さんは私が紹介した宿に予約を入れ、宴会場も押さえました。 1泊2日の日程のどのタイミングでも電話を取れるように私は準備していました。しかし、次郎さんから連絡はありません。帰宅した翌日に診察に行くと、「先生を呼ばずに済んだよ」と、次郎さんは誇らしげに言いました。それから、同窓会の話を始めたのです。 宴会の最初に全員が、一斉に水で薬を飲み始めました。皆さん何らかの病気を持っていたのです。一番驚いたのがオムツで、次郎さんが穿き替えで席を外そうすると、「どうした」と聞かれて事情を話したら、「俺もオムツだ」と言って、浴衣を開けて見せてくれた同級生が何人かいたとか。次郎さんのスマホには、つくば市のイベントに出ていた青森のねぶたが写った画像がありました。ねぷたの代わりにねぶたを見ることで満足し、その画像は次郎さん最後の宝物になったのです。 人生最期のわがままは、単なるエゴとは違います。自分が自分らしくありたい真なる気持ちから発せられるもので、周囲の人たちの理解も協力も得られて実現していくものなのだと私は思います。我慢する必要はありません。 次郎さんは同窓会から3カ月後、静かに亡くなりました。 ※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年11月15日号)の一部を再編集したものです。 ---------- 平野 国美(ひらの・くによし) ホームオン・クリニックつくば院長 看取りの医者。茨城県龍ヶ崎市生まれ。2002年に訪問診療専門クリニック「ホームオン・クリニックつくば」を開業。訪問医療医として立ち会った最期は3200例を超す。著書に『看取りの医者』(小学館)や『70歳からの正しいわがまま』(サンマーク出版) がある。 ----------
ホームオン・クリニックつくば院長 平野 国美