持病の87歳夫を看取った82歳末期がん妻が念願叶って「同日」に他界…看取り医「佳代子さん、やるな」と呟いた訳
■70歳を超えてから燃え上がった恋 人間は何歳になっても恋心を抱いていることに初めて気がついたのが、クリニックを開業した翌年でした。患者さんの自宅を訪ねると、大半の患者さんをテレビ画面に釘付けにしていたのが、韓国の恋愛ドラマ「冬のソナタ」だったのです。自分もこんな恋をしたいと思いながら視聴していたのでしょう。 そんな恋心に素直に生きたカップルが、理恵さん(72)と夫の健介さん(75)です。健介さんは数年前に脳腫瘍を発症し、すでに失明し、自宅で療養していました。 ある日、診察を終えると、「自宅で最期を迎えさせたい」という相談を理恵さんから受けました。看取りまでの介護に関して子どもさんに援助を求められるのかを確認するため、家族構成を知っておく必要があります。私がそのことについて理恵さんに問うと、返答は意外なものでした。 「私たち、結婚してからまだ1年しかたっていないの。お互い70歳過ぎてから入籍したのよ。健ちゃんはバツイチで、私は初婚。だから、2人の間に子どもはいません。お互いヘビースモーカーで、ある展示会の喫煙所で顔見知りになり、ゴルフ仲間、飲み友だちになったの。でも、あるときから付き合い出して入籍したのよ。驚いた?」 実は、付き合って初めてわかったのが、健介さんの男尊女卑の気質だった。何かと“上から目線”での物言いをすることがあり、その度に理恵さんはうんざりしていた。その後しばらく連絡が途絶えた時期があり、心配して理恵さんがメールをすると「体調不良だ」との返信あった。家を訪ねると明らかに様子がおかしく、翌日、病院に同行した。 そのまま検査入院となり、数日後の結果の告知に際し、近くに身寄りのない健介さんに友人として理恵さんは寄り添った。そこで告げられたのが脳腫瘍だったのだ。手術には親族による承諾書や身元引き受けが必要で、事の成り行きから理恵さんは、健介さんが若い時分に家を飛び出して絶縁状態だった鹿児島の実家を訪ねる。そして、怪しまれながらも何とか説得し、妹さんからサインをもらって帰ることができた。 手術をしたものの視力が衰えた健介さんを、放っておけなくなった理恵さんは、お世話のために半同棲状態に。そんなある日、突然泣き出した健介さんが自殺までほのめかすので、「治して鹿児島を案内しろ」と怒鳴りつけた。それから2回目の手術を受けて一時的に視力がよくなり、2人は鹿児島へ旅立つ。 ■「この人から離れたら人生に後悔しか残らない」 すると、鹿児島で健介さんの姿勢が様変わりした。妹さんや親戚の皆さんに約50年前の非礼を詫びながら感謝の気持ちを伝え、理恵さんには「大丈夫?」「疲れてない?」と気遣ったのだ。帰京の際、理恵さんは妹さんから「兄をお願いします」と頭を下げられた。 「帰りの飛行機のなかで、『理恵ちゃんのおかげで、自分が変わった気がする。ありがとうね』と言われ、『ああ、この人から離れたら、自分の残りの人生は後悔しか残らない』と気づいてしまったの。そして、羽田空港から浜松町までのモノレールのなかで、『次の手術の際の書類作成が面倒だから、一緒にならない』って私から切り出したのよ」 男尊女卑で傲慢な姿勢を見せていた健介さんですが、心のどこかでお世話になった皆さんに感謝の意を伝えたい気持ちを抱き続けていたのでしょう。その気持ちを解き放ったのが、理恵さんの献身的な接触であり、素直な「ありがとう」の言葉を引き出すまでになったのです。そんな健介さんの感謝の気持ちに対して、いままで以上の愛情を理恵さんが注いでいく。それは「純愛」の一つのあり方ではないでしょうか。 偶然の出会いから得た純愛に包まれながら、健介さんは穏やかに亡くなりました。それから約1年後、愛煙家だった理恵さんも、肺を患って天に召されていきました。