結婚16年。夫が変わり、台所が変わった
【&w連載】東京の台所2
〈住人プロフィール〉 45歳(会社員・女性) 分譲マンション・2DK・半蔵門線 押上駅・墨田区 入居15年・築年数35年・夫(会社員・46歳)と長男(7歳)との3人暮らし 【画像】もっと写真を見る(25枚) 台所をひと目みて、思った。なんて潔い空間だろう。 ふだんは物静かな写真家の本城直季さんも、傍らで感嘆した。 「すっきりした台所ですねえ」 流し台の前に、カウンターや作業台がない。 一昨年のリフォームで、半クローズ型の窓のない台所から現在の場所に移動させたという。 「料理があまり好きじゃないのがコンプレックスなので、台所はできるだけ苦がなく、食事や暮らしの延長でぱっと作ったり片付けたりできるようにしたかったのです」 流し台は設計者に勧められた一般的なメーカーの、リーズナブルなランクのもの。せっかくリフォームするなら、ちょっとした台や収納棚を作りたくなりそうなものだが、彼女はおもいきって省いた。 「掃除がしやすく、あけっぴろげでも風通しの良さを優先しました」 ふりかけや卓上で使う調味料やウェットティッシュや文具などは、イケアのこぶりな3段ワゴンに集結。 「自分らしく使えていれば、台所は映えなくてもいいんです」と笑う。 じつは、“家事の主体”という意識のない夫と、離婚を考えていた時期がある。綻(ほころ)んだ関係をどうにかこうにか紡ぎ直し、この台所にたどりつくのに16年かかった。 彼女は、取材の応募動機をこう語る。 「雑誌などを見ると、暮らしが舞台の、“映える”人がいっぱい出てきます。とても素敵だなと思うけれど、本来、暮らしはおしゃれでなくてもいいはず。私は、普通の人の普通の暮らしにこそ本質があると思いたい。映えなくても、ようやく自分らしいと思える暮らしにたどり着けたので、応募しました」
夫の言葉に絶望
結婚1年目で、絶望した。 「昔はみんな、今より夜遅くまで働きましたよね。私もハードに働いていたので、もう少し家事をやってくれないかと言ったのです」 料理をほぼしない。皿洗いは、言わないとやらない。洗面所を使って水ハネだらけにしてもそのまま。ゴミ収集日、玄関にゴミを出しておいても、通勤時、よけて出ていってしまう。 家事の主体は妻、自分は言われたことだけやればいいという指示待ちの意識に、限界が来た末の訴えだった。 彼は答えた。 「女の人は家事が好きなものなのに、おまえがおかしいんじゃないの」 ああ、もう話し合いはむりだと悟った。 どんどん心が離れ、翌年、一方的に彼女が家を出た。 戻ってきてほしいと言う彼にふた月ぶりに会うと、げっそり痩せ、自分が悪かったと詫(わ)びられた。 別居は2カ月で終わる。 「あのときは彼も相当ショックだったろうし、いまだに傷になっていると思います。双方の実家にも迷惑をかけた。でも、人って、相手が家に戻ったからといって、そう簡単にコロッと変わるわけではないんですよね……」 その後、長男が生まれた。 彼女は育休をとるも、夫の指示待ちのスタンスはやはり変わらない。 「夜泣きが始まると、“別の部屋でひとりで寝かせてほしい”と言われました。仕事で車の運転が多いので、寝不足で万一事故を起こしたら大変だからと。私が風邪をひくと“近寄らないで”。週末くらいは息子と一緒に寝てとお願いすると、“俺の唯一の休みだから”と譲らない。だんだん、一緒に暮らす意味ってなんだろうと思いつめていきました」 しかし、子どもの前で喧嘩(けんか)はしたくない。感情に任せた言葉は伝わらない。 彼女はある晩、自分が担っている家事・育児のすべてと、心にためていたことをすべて紙に書き出し、夫に渡した。 離婚も視野に入れた相談であると言い添えて。 彼は読みながら、あ、という顔をした。 たとえば料理には、献立作り、買い出し、冷蔵庫の整理、調味料の補充、片付け、ゴミ出しまでがセットだ。麦茶作りもゴミ袋の掛け替えもある。 掃除、洗濯、子どもの世話。すべてに細かい段取りがともなう。 「これまで気づかなかった俺が悪い、と。心から言っているのだとわかりました」 以来、夫は少しずつ変わっていった。 土日の朝ご飯は彼が作る。平日も早く帰ったときは、台所に立つ。洗剤が空になれば買い足して詰め替え、風呂掃除、子どもの寝かしつけまで。 家事ができない人ではない。やらなかっただけなのだ。 6年経た今は、「かつて彼がどの家事をやらなかったのか、ちょっと忘れかけています」。 思えば彼は、何かあると必ず「話し合おう」という姿勢があった。反省を生かす生かさないは別にしても、なんとかふたりの落とし所を探そうとする。 幾度ものバトルを経て、夫は自然に妻と同じ、家事の主体者になった。 そしてリフォームで、家族の風通しはさらによくなる。