結婚16年。夫が変わり、台所が変わった
「暮らしにおいて今がベスト」
流し台の高さは、夫の身長に合わせた。 「私にはちょっと高いんですけど、彼が言いだしたので、お、やる気なんだなと嬉(うれ)しかったです」 前の台所はクローズ型で、埃(ほこり)も油煙もたまりやすかった。「なにより、そこに料理や洗い物にこもるのが、料理が苦手な私には、ハードルでした」。 台所だけのつもりで設計を始めたリフォームは、最終的に住まいをフルリノベーション。プランニングに半年かけた。 もののついでに、苦がなく台所に立てるようカウンターをなくした代わりに、半間のパントリーを台所奥に作った。 乾物や菓子、食器洗剤などのストックはすべてこちらに収納する。 台所もリビングもスッキリ広々。埃もたまらない。 「人生ってだいたい予想通りいかないことばかり。ここまで自分の思い通りになったものは、リフォームが初めてです」 自分は我慢がきかないと、自嘲する。極端な言い方になるが、結婚1年目の決裂のように、働く目的のひとつに「いつでも、選択肢に離婚を入れておけるようにするため」がある。 そのうえで、相手にしてほしいことは互いに言葉や文字にして伝え合う。聞いて納得できたら、相手のために努力する。 彼女の言う「普通の人たちの普通の暮らし」はだれも、そんな地味でさりげない努力によって成り立っているのだろうし、「居心地」の本質は、互いを少し慮(おもんぱか)ることから醸成されるのかもしれない。 短くはない時間を重ねてたどり着いたこの台所で彼女は、サバサバとした表情で言い切った。 「暮らしにおいて、今がベストです」 流し台だけの台所って斬新でしたよねと、本城さんと話しながら帰った。 きっとあの潔い清々(すがすが)しさは、リフォームのせいだけではない。 ■著者プロフィール 大平一枝 文筆家 長野県生まれ。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラム多数。著書に『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『人生フルーツサンド』(大和書房)、『注文に時間がかかるカフェ』(ポプラ社)など。本連載は、書き下ろしを加えた『東京の台所』『男と女の台所』(平凡社)、『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)の3冊が書籍化されている。
朝日新聞社