建築から分かる日本と中国の近代化の違いとは? 「建築モダニズム」と「社会モダニズム」
「建築モダニズム」の欠如は「社会モダニズム」の欠如
要するに自国の伝統と欧米流の近代思想との葛藤の歴史をもたないということが、建築の近代化から考える現代中国社会の特徴である。 中国の近代史においては、まず西側先進国の植民地的侵略があり、次にそれに対する反発と独立運動(孫文)があり、国民党(蒋介石)と共産党(毛沢東)の対立があり、共産主義イデオロギーによる社会建設があった。この間の主導的思想は「独立」であり「革命」であり「共産」であった。そして文化大革命を経て、改革開放(鄧小平)があり、現在の習近平政権へと至っている。 そこには、植民地主義 vs 独立・革命、あるいは資本主義 vs 社会主義、といった対立の構造は見られるものの、日本にあったような、近代主義思想(民主、自由、個人、人権、平等)と伝統思想(東洋的日本的道徳律)との葛藤と議論がすっぽりと抜け落ちている。 中国における近代から現代への価値転換は、経済と科学技術がほとんどすべてであり、それこそが進歩であるという唯物主義(マルクス主義の歴史観)理念に沿っているのでもあろう。たしかにその点では、この30年のあいだに日本を凌駕したのだが、文化的社会状況という点においては、まったく異なった道を歩んでいるのだ。 中国における「建築モダニズム」の欠如は、そのまま「社会モダニズム」の欠如を意味しているように思える。 とはいえここでいいたいことは、日本の近代化が正しく、中国の現代化がまちがっているということではなく、ひとつの国の近代化あるいは現代化には、その国の風土と歴史が深くかかわっていて、単純な近代化史観では押さえきれないということだ。先進国にも、新興国にも、途上国にも、一つとして同じ顔をした「近代国家・現代国家」というようなものは存在しない。いいかえれば、今を生きる人間は、それぞれの国の近代化現代化の歴史を宿命として生きざるをえないということではないか。 日ごろ何気なく見ている建築様式が、その国の近代化の歴史と社会の心を映している。