建築から分かる日本と中国の近代化の違いとは? 「建築モダニズム」と「社会モダニズム」
中国はいきなり現代化
さて中国はどうか。中華人民共和国の成立以前は半植民地状態であったと中国共産党自身が認めているが、たとえばインドをイギリスが支配したように一つの宗主国が中国全体を支配するような形ではなかったので、洋風建築に対する憧憬も、また敵意も、それほど強くなかった。 40年ほど前に日本建築学会の調査団の一員として中国の風土的住宅の調査に行ったとき、内陸部にはヤオトンと呼ばれる地下住居や、パオと呼ばれるテント住居が多く存在し、近代建築はほとんど存在しないという状態であった。 中国の建築近代化の歴史においては、人民大会堂などをはじめとする中華人民共和国10周年を期して北京に建設された「十大建築」(1959年竣工)というのが重要な画期となっている。その様式は、中国の伝統様式とソビエト風近代様式が混在するもので、国家主義と共産主義の融合イデオロギーの表現が、共産主義中国にとっての近代化というものであった。 ところが、文化大革命の混乱を経て鄧小平の「改革開放」以後、中国には西側同様のガラス張りの超高層建築が林立することになる。文化大革命という過激な社会主義イデオロギーの裏返しとして、思想性に蓋をするかたちで市場経済に走ったのと同様に、急速に西側の現代建築を取り入れたのだ。これはポストモダンとも呼ばれているが、どこか装飾的な部分が混入して、やはり中国らしい部分が残っている。 つまり中国は、日本がバウハウスやル・コルビュジエから学んだ「機能主義」のシンプルな美意識、すなわち過去からの決別としてのモダニズム=近代主義(近代思想)を経験していないのである。 中国では、「鳥の巣」の異名で知られる北京のオリンピックスタジアムはジャック・ヘルツォーク、中国公共放送テレビ局「CCTV」の本部ビルはレム・コールハースといった具合に、国家の象徴となる建築を外国人建築家に任せることを躊躇しない。外国の建築は大いに設計するが(たとえば安藤忠雄や妹島和世など)、外国人建築家はあまり受け入れない(新国立競技場ではザハ・ハディドの設計を撤回した)日本とは対照的である。