東京パラ五輪女子マラソンで悲願の金メダルを獲得した道下美里が表現した「今この社会に必要なメッセージ」とは?
雨上がりの空から顔をのぞかせた初秋の太陽に祝福された。東京パラリンピックの最後に待っていたのは、金メダリストのとびっきりの笑顔だった。 大会最終日の5日に国立競技場発着の42.195kmで行われた女子マラソン(視覚障害T12)で、世界記録保持者の道下美里(44・三井住友海上)が3時間0分50秒で優勝。前回リオ大会の銀メダルから5年越しの雪辱を果たした。2位以下に大差をつけるパラリンピック新記録で悲願の金メダルに花を添えた。 札幌に変更され東京五輪で使用されなかった都内を巡るコースを、ガイドランナーとともに力走した道下をはじめ、大会最終日に3個を加えた日本選手団の金メダル数は13個に到達。15個の銀メダル、23個の銅メダルを加えた、2004年アテネ大会の52個に次ぐ歴代2位の51個のメダルを記録と記憶に残して、13日間におよんだ熱戦の幕が降ろされた。
伴走者が助言した30kmの勝負ポイント
隣を走ってきたガイドランナーの志田淳さん(45・NEC)に促されるように、道下はゴールの数メートル手前になってグイッと前に出た。 長さが50cm以内の、別名で「きずな」と呼ばれるガイドロープを握り合いながら走る視覚障害者マラソンでは、ガイドランナーが選手よりも先にフィニッシュラインを越えれば失格になる。目の前にどのような光景が広がっているのかはわからない。ただ、志田さんの声で追い求めてきたゴールがすぐそこにあるとわかった。 国立競技場に戻ってきてから、すでに道下はサングラス越しに笑顔を浮かべていた。早朝の号砲前から降り続いた雨が止み、最後のストレートに入ったときにだけ日の光が差してきた。天までもが祝福するなかで、ユニフォームを介してゴールテープを切る感触が伝わってきた。込みあげてくる万感の思いを、道下は満開の笑顔に反映させた。 「今回は『5年前の忘れ物を絶対に取りにいくぞ』と、強い気持ちでみんなが準備してきました。ゴールまでは絶対に油断しないでいこうと思っていましたけど、トラックに入ってきたらかなり離れているとわかったので、落ち着いて笑顔になって『ああ、これが夢に見た舞台だ』と思って。本当に幸せだと感じながら、ゴールテープを切りました」 金メダリストになった第一声を弾ませた道下は、再び笑顔を輝かせながら志田さんへ視線を送った。ガイドランナーが2人まで認められるルール。前半が、青山由佳さん(35・相模原市役所職員)で、後半の20km以降を伴走したのが志田さんで、その志田さんの鋭い観察眼が道下を優勝に導いたのである。 雨中のレースは15km過ぎまで、道下を含めた4人が先頭集団を形成。20km付近からはエレーナ・パウトワ(35・RPC)が抜け出し、最大で5秒ほどの差をつけられた。それでも坂道練習などで強化を図ってきた道下は焦らなかった。市ヶ谷から四谷をへて国立競技場に続く35km以降の長い上り坂を勝負どころとして定めていた。 25km過ぎでパウトワへ追いつき、マッチレースとなって迎えた30km付近の給水所だった。今大会の1500mにも出場していたパウトワがわずかにペースダウンした変化を、東海大学時代に箱根駅伝を3度走っている志田さんは見逃さなかった。 目の代わりを務める志田さんが「いけるか」と問いかけ、道下も「いける」と即答した。身長144cm体重36kgの小さな身体が刻むピッチが一気に上がる。事前に定めていたポイントよりも早いスパートも、プランのなかにあったと道下は明かした。 「序盤はペースを刻んでいって、後半勝負だと思っていたなかで、坂の前から仕掛ける、というのも予想していました。ガイドランナーの志田さんがしっかりと状況を見てくれていたので、あそこで上手くリードを取ってくれました」