歌人・俵万智「短歌を詠みたいか、詠めるかが、心身のバロメーターに。東京、仙台、石垣島、宮崎…どこにいても詠めるというのも、短歌の魅力」
SNSに投稿した作品で注目を集め、若手歌人として活躍する岡本真帆さん。中学生の時に俵万智さんの短歌に出合い、衝撃を受けたと言います(構成=篠藤ゆり 撮影=大河内 禎) 【写真】「60代には60代にしか詠えない歌がある」と話す俵さん * * * * * * * ◆心身のバロメーターに 岡本 実は私、2018年から3年ほど、歌を作れなかったんです。才能がある方々の作品と自分の歌を比べてしまい、すくんでしまったというか。目が肥えてきたのに、技術が追いついていなかった。 そんな時、ご縁があって第一歌集を出せることになり、なんとか間に合うように歌を作ろうと決意して。作っては人に見てもらううちに、スランプを克服できました。 俵 私も30代の頃、あまり歌が作れない時期がありました。散文の執筆など、短歌以外の仕事で忙しくて。そういう時は焦らず、無理をしない。私は生きている限り、歌を作り続けると確信しているから。 岡本 22年の春に第一歌集が出てから、歌人としての仕事もいただくようになり、会社との両立に疲れてしまって。コロナ禍をきっかけにリモートワークが可能になったので、地元に帰ることにしました。 今は生活が規則正しくなり、会社の始業前、朝8時から10時までを短歌を作る時間にしています。そして、会社の仕事もなるべく定時で終わらせる。がんばりすぎると、短歌を詠む気持ちが濁ってしまう気がするので、心身ともに健やかでいるよう努めています。
俵 今、短歌を詠みたいか、詠めるかが、心身のバロメーターにもなりますよね。あまりに忙しすぎて心がすさんでくると、歌が生まれにくい。 岡本 ほんと、そうですね。 俵 どこにいても詠めるというのも、短歌の魅力。『サラダ記念日』を出した頃は東京で暮らしていましたが、息子が生まれ、土と緑のある幼稚園に通わせたいと思って、両親がいる仙台に引っ越しました。 そして東日本大震災の直後、春休みの間だけのつもりで石垣島に行ったら、小学生男子にとって天国のような環境だった。それで、そのまま住み着いたんです。 岡本 フットワークが軽い! 俵 息子が宮崎県の山奥の全寮制中高一貫校に入りたいというので、次は宮崎。息子が大学に入って手が離れたら、親が高齢になり日常の手助けが必要になってきたため、今は仙台です。短歌は日常生活の中での発見が作品に繋がるから、移動は悪くない。 岡本 確かに。私は東京にワンルームマンションを借りて二拠点生活をしていますが、それが自分には合っているようです。 俵 東京と地方、それぞれ良さがあるものね。東京の良さは、気軽に芝居を観たり、お洒落なレストランに行ったりできる点。そういう娯楽はつまみ食いが可能だけど、地方の良さは住むことでじわじわ感じるようになる。 岡本 東京は、建物がなくなると、「ここ、何があったっけ?」と前の景色を忘れがちです。でも地元の場合、山や川など変わらない景色がある。そこに記憶が積み重なっていくんだなと、1年経ってようやく思うようになりました。
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