なぜ冨田せなは銅メダルを獲得しスノーボード女子HPの歴史を塗り替えることができたのか…女王が語った進化のスピード
「(攻めたことで)結果がついてきて、すごいうれしい」 その時点では、トップのキムに次ぐ2位。直後、2001年の全米オープンで初めて連続で1080(横3回転)を決めると、2000年代前半のハーフパイプシーンを席巻したダニー・キャスをコーチに迎えてから成長したライバルのカステリェトが90.25点を出し、冨田は3位に後退する。ファイナルランーー。 すでに触れたXゲームで冨田は、2本目にカステリェトをかわして逃げ切った。その再現を狙ってファーストヒットで試みたフロントサイド1080を失敗。それはトップに立つキムを捉えることも見据えた構成でもあったはずだが、悔いはなかった。 「(3本目は)コケちゃったんですけどチャレンジできて良かった」 結果は銅メダル。しかし、女子スノーボードでは、2014年のソチオリンピックで竹内智香がパラレル大回転で銀メダルを取って以来の快挙で、もちろん、ハーフパイプでは初の表彰台となり、歴史に名を刻んだ。 ところで、今回の戦いは、前回の平昌大会で金メダルを獲得したキムが本命で、女子では初のダブルクリップラー(縦2回転)を決め、2019年の全米オープンでキムの連勝を止めたマディ・マストロ(米国)が対抗。そこに好調な冨田、カステリェトらがどう絡むのか、という構図だった。 ただ、マストロは予選で敗退。今季序盤に足首を故障し、Xゲームはその影響で途中棄権を余儀なくされており、本調子ではなかった。彼女がダブルコーク1080(縦2回転横3回転)を決めれば、キムに勝てるチャンスがあるとも言われていたが、それを披露することもなかった。 キムにも不安要素があった。女子ハーフパイプでは別格の存在で、歴代のトップライダーと比べてもその能力は突出しているが、17歳で平昌五輪で優勝した後、いきなりスターとなったことで環境の変化に適応できず、精神的に追い込まれたことを告白。雑誌「TIME」のインタビューでは、「金メダルをゴミ箱に捨てたこともあった」と明かしている。 足首を痛め、マストロに敗れた19年の全米オープンを最後にコンテストシーンから離れ、昨年1月に復帰したばかり。2年近くもブランクがあり、決勝前の公開練習では、「これまでで、最悪」とキム。「(10回中)8回は決められるトリックが、2回ぐらいしか成功しなかった」。それは、冨田らにしてみればチャンスでもあったが、やはり強かった。決勝は、1本目に94.00点を叩き出してほぼ優勝を確実にすると、2本目、3本目は、まだ女子選手では誰も飛んでいないキャブ1260(スウィッチスタンスからの横3回転半)にトライ。いずれも失敗したが、次元の違いを見せつけている。