振り子のような「アングロサクソン帝国」の日本評価 今後どのような関係を目指したらいいのか?
アメリカ、イギリスなど西欧諸国が中国国内の人権問題への懸念から、2022年2月に開催される北京冬季五輪・パラリンピックに対する「外交的ボイコット」を表明しました。そして日本の岸田政権も、閣僚の派遣を見送る方向で調整しているとの報道があります。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、前回の「中国包囲に再結集する『アングロサクソン帝国』の賞味期限」(2021年12月5日配信)の記事で、アメリカ、イギリスの両国を「アングロサクソン帝国」と位置付けました。今回は、アングロサクソン帝国と日本とのかかわりについて、独自の文化力学的な視点で論じます。
マルコ・ポーロまで
「帝国」とは、辞書的には「皇帝が統治する国」であるが、一般には「ひとつの民族や文化を超えて広範に力を発揮する、あるいは拡大する国」と理解されている。 前回、かつての大英帝国から現代も帝国的な力をもつアメリカへと主導権がバトンタッチされた、英語などアングロサクソン文化を基本とする「アングロサクソン帝国」の歴史を追った。 今はそのアングロサクソン帝国の第4期である。2021年12月9日から10日にかけて開催された民主主義サミットに表れているように、権威主義国家(中国、ロシア、イランなどとされる)を封じ込める態勢をとり、日本もそこに組み込まれている。ここでもう一度、この400年から500年にもわたろうとする世界的な覇権の帝国と極東の島国との関係の歴史を再点検する必要を感じる。前回書いた第1期~第4期に分け、主として英米から日本への視線の変遷を追ってみたい。 16世紀に至るまで、ヨーロッパにもたらされた日本像の源泉は、イタリア人商人マルコ・ポーロの『東方見聞録』(社会思想社現代教養文庫・青木富太郎訳・1969年刊・原本は13世紀末成立)ぐらいであった。フビライ・ハーンの庇護を受けて、中国から東南アジア、中東を旅したポーロの記録を読むと、どの地域に関してもかなり正確である。しかしこと日本に関しては、実際に訪れたのではなく風聞をもとにしているので曖昧なところが多く、それが「黄金の国ジパング」というイメージを生んだ。