振り子のような「アングロサクソン帝国」の日本評価 今後どのような関係を目指したらいいのか?
第1期・フロイスの日本史重要文献はマカオに眠っていた
大航海時代を経て日本を訪れたのはポルトガル、スペインのイエズス会宣教師たちである。その通訳謙記録係的な立場であったルイス・フロイスの大部の記述『完訳フロイス日本史全12巻』(松田毅一、川崎桃太訳・中公文庫2000年刊・原本は16世紀成立)は、長いあいだマカオの倉庫に眠っていたのだ。全巻日本語で訳出されたのは近年のことで、にわかに日本史の重要資料となった。そこに記されている岐阜城や安土城の記述と、これとは別刊の『ヨーロッパ文化と日本文化』(ルイス・フロイス著・岡田章雄訳・岩波文庫1991年刊・原本は16世紀成立)に記されている日本の一般住宅に対する記述がきわめて詳細正確であるところから、僕は建築の専門家としてフロイスの資料が信頼に足るものと感じている。世界初の詳細で客観的な「外からの日本記述」といっていい。彼はザビエルと同様に、当時の日本がインドや中国などと比べて「スペインと同等あるいはそれ以上に立派な国」であると本国に書き送っている。こういった評価はヨーロッパ、特にキリスト教世界にある程度広がったのかもしれない。 その少しあと、徳川家康がとり立てたイギリスの水先案内人ウイリアム・アダムズ(三浦按針)が、日本と関係をもった最初のアングロサクソンではないか。しっかり者の家康が信頼したのであるから、この人物もしっかり者であったようで、日本人にさまざまな知識と技術を教えたのだが、その後江戸幕府はオランダを貿易相手に選んだ。第1期、アングロサクソン帝国と日本との関係は、まだ希薄なものであった。
第2期・日本人はアングロサクソンに近い白人
産業革命を経て資本主義の先駆者となったアングロサクソン帝国の第2期、世界の覇者と極東の島国とは急速に関係を深くする。 日本列島泰平の夢を打ち砕いたのはアメリカ人ペリーの率いる蒸気船(黒船)であった。またアヘン戦争で中国を屈服させたイギリスは、薩英戦争、下関戦争などを経る中で、声高に攘夷を叫んでいた薩摩と長州との関係を深め、両藩の俊英をイギリスに留学させ、新式の武器を供与して倒幕を援助した。これらを仲介したのが長崎のグラバー邸で有名なトーマス・グラバー(スコットランド出身の商人)である。 維新のあとに日本の実情を記したのは、大森貝塚を発見したアメリカの生物学者エドワード・モース、英国公使館の書記官であったアーネスト・サトウ、イギリスの旅行家イザベラ・バードなどである。彼らといえども、当時の最先進国からの観察者がアジアの国を見るときの一般的な偏見から免れているわけではないが、かなり客観的な記述が多く、日本社会に他のアジアとは異なる評価の眼を向けていることも感じられる。 日本が急速に文明開化と産業革命を進めるとともに、アングロサクソンの日本評価も高まっていくが、日英同盟と日露戦争を機に、その評価はピークを迎える。 井野瀬久美恵は『大英帝国という経験―興亡の世界史16』(講談社2007年刊)の中で当時の政治家(フィリップ・リットルトン・ゲル)の言葉を紹介している。「私が目を向けたいのは日本人です。彼らは少なくとも考えて行動し、しかも寡黙です。日本人を外交、組織、戦略、男らしさ、献身、自制心の手本とするヨーロッパ人がいるでしょうか(ママ)。わけても、独立独歩、自己犠牲、黙して語らずという国民的能力はたいしたものです」 またJ・M・ヘニングは『アメリカ文化の日本経験』(空井護訳・みすず書房2005年刊・原本は2000年刊)の中で、アメリカ人は初期のころ、日本人を他の有色人種と同様、劣ったものと決めつけていたが、その発展とともに日本人を特別視したことを述べている。「アイヌとロシア人は白人だが遅れたスラブ人であり、征服する側に立つ進歩的なアングロサクソン人ではない。対蹠的に日本人は白人であり、しかもアングロサクソン人に似ている。グリフィスたちアメリカ人観察者は、有史以前のアイヌ人と同化したために日本人は白人であると宣言した」 当時のアメリカではアイヌ人の身体的特徴(体の大きさ、体毛の濃さ、顔立ちの彫りの深さなど)をロシアと同系統の白人と見なす傾向があったのだ。ちなみにこのW・グリフィスは理科のお雇い外国人教師として滞在し日本研究者となった人物である。 明治日本に最も強い影響を与えたのが英国であることはまちがいない。しかし日本は次第に、その国家としての実情が近いドイツ帝国を、憲法、法律、学問、教育、軍制などのモデルとして考える傾向が強くなる。