お家芸の固体燃料は転機に…国産ロケット70年の節目、新ステージの行方
お家芸の固体燃料は転機に
日本で初めて開発したロケットが打ち上がってから2025年でちょうど70年がたつ。鉛筆ほどの大きさのペンシルロケットにはじまり、日本のお家芸である固体燃料ロケットが開発された。また液体燃料を推進剤とする大型基幹ロケットが作られるようになり、さまざまな衛星を宇宙に運ぶ手段として日本の強みとなっている。現在は宇宙ベンチャーによるロケット開発も進み、日本の宇宙開発も新たな段階に進もうとしている。(飯田真美子) 【写真】進化し続けるH3ロケット 今から70年前の1955年、東京大学の故・糸川英夫教授らが日本で初めてペンシルロケットを打ち上げた。ペンシルロケットは推進剤に固体燃料を使っており、日本が得意とする「固体燃料ロケット」の技術が発展するきっかけにもなった。これまでに日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げた「ラムダロケット」や、初代「はやぶさ」を宇宙に運んだ「ミューファイブロケット」などは固体燃料ロケットであり、日本の宇宙開発を進めた衛星の輸送を担ってきた。 ただ、最近では宇宙航空研究開発機構(JAXA)とIHIエアロスペース(群馬県富岡市)が共同開発する新型の固体燃料ロケット「イプシロンS」が、2段エンジンの燃焼試験の失敗が2回連続で続いた影響で当初の予定から打ち上げが延期になった。またスペースワン(東京都港区)の小型の固体燃料ロケット「カイロス」も同社に出資するIHIエアロなどの技術を生かして開発しているが、2号機の打ち上げに失敗。日本のお家芸と言われた固体燃料ロケットの開発が苦戦している。 固体燃料ロケットの製造にはカギとなる技術がいくつかある。JAXAの的川泰宣名誉教授は「例えば燃料を均等に混ぜて詰めるという作業は熟練の技術が必要。ただ日本が培ってきた技術の継承は難しく、人材育成にも課題がある」と指摘。宇宙開発の現場にも人材の不足や流動がみられ技術を引き継ぐのが難しく、新型ロケットの開発にも影響を及ぼしているのが現状だ。