「古川飛行士にバトンつなげたい」若田宇宙飛行士が会見7月21日(全文3完)
今回のフライトで私たちを元気づけてほしい
航空ジャーナリスト協会:若田さん、お久しぶりです。航空ジャーナリスト協会の【スズキ 00:52:01】と申します。 若田:お世話になってます。 航空ジャーナリスト協会:若田さんの初フライトのときに、私はNASAのほうに、JALの整備士の方たちと一緒のチームでツアーに行きました。 若田:そうだったんですか。 航空ジャーナリスト協会:応援ツアーに行ったことをきのうのように思い出していますけれども、今回、クルーの方が、初めてのフライトの方がいらっしゃるということで、そのときの、若田さんの初フライトのときの気持ちになって、どんなふうにクルーの方たちが今、訓練に臨んでらっしゃるのか。そして今、いろんな質問の中で最高齢という、JAXAの中で最高齢の宇宙飛行士っていうことが何度か出てきたんですけども、これからの宇宙飛行には、例えば向井さんと一緒に行ったグレンさんみたいに、高齢になってからでも行くチャンスがあるのかなと思うんですけれども、今、いろんな困難が続く中で、日本も含め世界の中でコロナ禍で悩んでいる方、いろんな方がいらっしゃると思うんですけれども、今回のフライトで、「思いやる。チームは強くなる。」っていうスローガンにもあるように、何か私たちが今回の若田さんのフライトによって元気づけられることがあったらいいなっていうふうに思ったりしているんですね。 それで、いろんな国の人たちが「きぼう」、宇宙ステーションでは一緒に生活をして、いろんなミッションをこれからこなしていかれると思うんですけれども、宇宙は本当にボーダーレスだと思うんですよね。国境もない、チームっていうことが1つのフィールドになるから、本当に「きぼう」のところからロシアの宇宙ステーションのところにも自由に行き来ができるし、すごい素晴らしい空間だと思うんですね。
大阪・関西万博にメッセージをいただければ
ですので、今回のフライトによって私たちも元気になりたいし、これから若田さんが、今回が最後じゃなくて、もっと次のステップにこれからつなげていきたい希望というか、これからの抱負みたいなものを、JAXAでできなくても民間でもできるし、いろんな形があると思うんですよね。これからどんなふうにやっていきたいのか。今回のミッションを通じてやられることと、あと、それにつなげるビヨンドを教えていただきたいと思います。 それで今、実は私、野口さんのこの前のインタビューのときにもお話ししたんですけども、非常勤で今、内閣官房というところで、国際博覧会推進本部事務局というところで、今度のEXPO、大阪・関西万博2025の成功のために微力ながらちょっとお手伝いをさせていただいていまして、チームの運営の難しさっていうのも感じながら今、頑張っているところなんですけれども、それも含めて、何か私たちが「いのち輝く未来社会のデザイン」ということで、私たちも一緒に一生懸命やっているので、何かこのミッションを通じてメッセージをいただけたらうれしいなと思います。 若田:ありがとうございます。EXPOの成功をお祈りいたします。そうですね、幾つかご質問いただきましたけども、ビヨンドという観点では、これは今までも同じようにお話をさせていただいたと思いますけれども、やはり有人宇宙活動の現場の仕事に携わる者として、私の夢っていうのは、やはり種子島から日本、そして世界の宇宙飛行士を、人たちを、職業は宇宙飛行士に限らないですけども、多くの方々を宇宙に送り届けることができる宇宙往還システムをつくり上げるという、そこに参加するっていうことだと思いますので、それは私の夢として今までも持ってきましたし、これまでも持ってきましたし、そのために自分ができることをやっていきたいなというふうに思ってます。 さまざまな難しい情勢っていうのが世界の中にはありますけども、国際宇宙ステーション計画のような国際協力プロジェクトっていうのが、日常生活を豊かにするようなさまざまな技術を生み出すのと同時に、やはりこれは本当に世界の人たちが協力して、より平和な世界を築くためにも重要な取り組みであるっていうことがまさに今、示される時だと思いますので、その成果を出していくっていうこと。