「チャットGPT」が日本社会の病弊を断ち切る? 知的分野に与える影響を考える
生成AIはゴッドハンドにならないだろうか
そういうわけで僕は、チャットGPTのような生成AIが、逆に、日本の知的組織に進行する官僚化、形式化という病弊を切開するゴッドハンドのメスとならないだろうかと期待しているのである。 ある専門家はこれを「ネット産業で世界に遅れを取った日本にとって大きなチャンスだ」とコメントしていた。行政も企業も大学も、思い切って生成AIを導入し、あるいは開発競争にも参入すべきではないか。ちぢこまっている場合ではない。 これまでにも書いてきたように、日本経済の「現場」はまだまだ創造力と活気に満ちている。仕事にたましいを込める職人気質が残っている。問題は「管理部門」の錆びつきだ。生成AIを含めたAIの開発と活用によって、前回書いたような、日本の社会制度の過剰な複雑化を突き破ることができないだろうか。 今の日本に必要なものは、忖度より独創だ。保身より挑戦だ。 個人も、組織も、社会も、何か新しい、思わぬことをキッカケにして立ち直るのはよくあることじゃないか。