「ネットが国会を動かす」桜を見る会と検察庁法案の共通点 坂東太郎のよく分かる時事用語
新しいメディアや通信手段が登場すると、必ずといっていいほど悪評が世を覆います。新聞の草創期に記者は「羽織ゴロ」と嫌われ、1906(明治39)年発表の夏目漱石著『坊つちやん』にも「新聞なんて無暗(むやみ)な嘘を吐(つ)くもんだ。世の中に何が一番法螺(ほら)を吹くと云って、新聞ほどの法螺吹きはあるまい」とコテンパン。テレビの黎明期であった1950年代には、大宅壮一をして「一億総白痴化」(※筆者注)と喝破されたものです。 【中継録画】野党5党の「桜を見る会」追及本部が初会合 調査態勢を強化へ 時は移ろい、メディアの新帝王としてインターネットが登場しても状況は同じ。特にSNSは「便所の落書き」「誹謗中傷の温床」と叩かれ、犯罪スレスレの書き込みが散見されるのも事実です。しかし、かつての新聞やテレビが悪評をまといつつ、「知る権利」をも擁護してきたように、インターネットは今や政治をも動かすパワーを帯びてきました。それらを象徴するいくつかのケースを考察します。
ネット上に“証拠”「桜を見る会」
まず「桜を見る会」をめぐる事例です。この問題の直接のきっかけとなったのは、昨年11月8日の参議院予算委員会での日本共産党の田村智子議員による追及でした。それまでにメディアがまったく報じていなかったわけではありません。昨春の「桜を見る会」(4月13日)が開かれた直後の4月16日、「東京新聞」が「『桜を見る会』何のためか… 与党の推薦者多く 経費は税金 近年増加 ネトウヨのアイドル?いっぱい」という紙面で問題提起しています。半年後の10月13日には共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が「安倍後援会御一行様 ご招待」とのタイトルで、今日の話題に近いスクープを打っているのです。 ただ、田村議員による質問の直後もマスコミの動きは総じて小さなものでした。テレビはTBSが取り上げた程度で、翌日の新聞も朝日、毎日、東京が500字前後の扱いで報じるにとどまります。 しかし、ネット上の反響は全く異なりました。後述するように、田村氏質問の骨格を形成した「私物化」の証拠の多くが、会に参加した当事者によるネットでの発信だったからでもありましょう。田村氏自身が「意識した」というYouTubeでの国会質疑の動画再生数は、共産党チャンネルで30万回を超える大盛り上がりを見せたのです。 当時「もう冬なのに何が桜だ」と気にもとめなかった政府・与党が身構えたのは当然として、野党ですら「何? 何? そこがツボなの?」と驚いて追及態勢を整え、同じく既存メディアも追従し始めました。 11月8日の質疑で、田村氏はまず、招いた側とみられる自民党議員のブログなどの記載を“証拠”として突きつけていきます。稲田朋美、松本純、萩生田光一(3氏とも衆議院議員)及び世耕弘成参議院議員らが「地元後援会の皆様などが招かれた」(松本議員は「ウグイス嬢」)と“告白”しており、萩生田議員は「常任幹事会の皆様」が招待されたと述べていたのです。 萩生田氏は現職の文部科学相で予算委に出席していたため、「常任幹事会とは誰だ」との質問に答弁せざるを得ず、結局「後援会の中の常任幹事会」と明かしました。 次に田村氏は、首相に招かれたと推察される地元山口県や下関市の議員のブログを披露していきました(実際の質疑ではすべて実名で指摘)。山口県議が「後援会7人と同行」と、下関市議が「前夜祭」の様子を伝えていて、別の山口県議は、会場で「片山さつき参議院議員から『10メートル歩いたら、山口県の人に出会うわよ!』と声をかけられた」と書き込んでいたと指摘しました。個人情報やセキュリティー(テロ対策など)を理由に事実上答弁を拒否する首相に、大量の招待者が手荷物検査もなく入場できたという証言をもとに「何がテロ対策だ」と喝破しました。 それまでの野党によく見られたマスコミ報道などを間接情報として追及するスタイルとは大きく異なり、当事者が書き込んだナマの声で“裏取り”して迫るという手法は、ある意味で「桜を見る会」問題云々を超え、ネットが国権の最高機関にまで強烈な影響力を行使するという新時代を予感させる出来事として記憶されましょう。