「ネットが国会を動かす」桜を見る会と検察庁法案の共通点 坂東太郎のよく分かる時事用語
「アベノマスク」命名、メディアも便乗
ネットが大きな役割を果たした事例は他にも見つけられます。例えば「アベノマスク」の命名。4月1日に首相が全世帯を対象に布製マスクを2枚ずつ配るとの方針を明らかにするや、同日中にツイッターなどで「アベノマスク」との呼び名がつぶやかれているのです。言うまでもなく、安倍首相の看板経済政策「アベノミクス」にからかいを込めた造語といえましょう。 トレンドランキングのトップに躍り出るや、マスコミも「アベノミクスをもじった」という形でさっそく紹介。3日の共同通信電も、アメリカ主要メディアが「物笑いの種になっている」「さえない政策だと多くの人々が感じている」と報じていると伝えています。
新しい意思表示のツールとなる予感
「桜を見る会」の田村氏による質問では疑惑の「証拠」を、検察庁法改正案への反対ハッシュタグでは主権者の声であろうという「根拠」を、それぞれネット情報から見出しました。特に後者は、選挙やマスコミ世論調査ではつかみにくい主権者のリアルタイムの声を可視化しました。これに、新しい国民の意思表示のツールとなる可能性を感じさせるのです。スピード感も尋常ではない。アベノマスクの事例も含め、瞬く間に膨れ上がり、速報を旨とする既存メディアですら後追いするしかありませんでした。 忸怩(じくじ)たる思いは、5月12日付「中日新聞」の「デスクメモ」で率直に語られています。 「ネットと著名人が組み合うと、二日間でこれほどの『世論』をつくり得ることが証明された。著名人の影響力もネットの迅速さもない新聞というオールドメディアに属する身としては、何やらまぶしさと空恐ろしさが交錯する。せめて、拡散したくなるニュースを伝えていくしかない。(歩)」 こうした慨嘆には既視感もあります。1974年、『文藝春秋』11月号に時の田中角栄首相をめぐる疑惑が、立花隆氏の「田中角栄研究―その金脈と人脈」、そして児玉隆也氏の「淋しき越山会の女王」として掲載されたことが決定打となり、約2か月後に内閣総辞職となった際、既存メディアの政治部記者らは「みんな知っている話だ」と反応。「だったら記者ならば書けよ」と冷たくあしらわれたケースを思い出させるのです。 「アベノマスク」命名や星野源さんの「うちで踊ろう」動画に安倍首相が“コラボ”した際のネット上の反応には、批判の中にユーモアも感じられました。ハッシュタグ「#検察庁法改正案~」の文言も、怒りをぐっと抑えた静けさが秀逸。ネットスラングをかたくなに嫌ってきた「オールドメディア」の由緒正しき文体よりも、ズバッと心に響く言葉を最近のネットはしばしば創出しているのです。 考えてみれば今の「オールドメディア」も黎明期から全盛期にかけては「まぶしさと空恐ろしさが交錯」していたはずです。「羽織ゴロ」が次第にエリート化し、視聴者をダメにすると大宅が心配したテレビ局の社員が人気職業となるにつれ、良い意味での「胡散臭さ」を失っていったのではないでしょうか。 かくしてネット世論が次第に拡大し、新聞やテレビがそれを追いかけていくという逆転現象が当たり前になりつつあります。