「ネットが国会を動かす」桜を見る会と検察庁法案の共通点 坂東太郎のよく分かる時事用語
燃え上がりやすいネット世論の負の側面
もっとも、移ろいやすいネット世論に「負の部分」があるのも間違いなく、しっかり注視していく必要がありましょう。 SNSの害毒は今さら列挙するまでもありますまい。コロナ禍の初期にトイレットペーパーを品薄にしたデマもまた、ハッシュタグ「#検察庁法改正案~」と同じSNSの影響でした。良い方へも悪い方へも作用し、急速に拡散していく新たな「世論」とどう向き合っていくか……だけならばまだしも、ネット世論は自らも簡単に参加できるので、どのように反応するかという自分事としても考えていかねばならない時代です。 検察庁法改正問題で端的に浮かび上がったネット世論への鈍感さは、マスコミだけではなく与野党含めた政治家にも当てはまります。いったんそれに乗っかれば押せ押せで突き進めるが、矛先が鈍れば一転して野党が窮地に追い込まるので一歩も引けなくなります。検察庁法改正案のケースは、あるいは今回の決着でよかったのかもしれませんが、他のケースではどう転ぶか誰にも分かりません。 政策の中には、時の政治家が「主権者は大いに不満であろう。それでも欠かせない」と信念を抱いて国会で審議するものもあるはずです。それに反発するネット世論に対峙する勇気を政治家が持たず、たやすく迎合してしまっては、国益を損じる恐れも出てきそうです。 先の戦争を起こして無残な結果を招いた責任は誰にあるのか、とはいまだ今日的なテーマ。当時の政治家、軍部の指導者、マスメディアなどさまざまな視点から掘り下げられる中、「国民自身の意思だったのではないか」と提起する研究者もいます。あの時、多くの国民が熱狂し、戦争を支持した痕跡が残っているのです。 「世論も間違う」としたら、何をどうするべきか。考えてみれば答えは簡単で、本来そのために国会があるのです。政策を推進したい側は、この「国権の最高機関」で十分な説明責任を果たし、批判する側も合理性を大切にして問題点をつまびらかにしていく。そんな当たり前の姿を与野党問わず目指してほしいところです。 (※筆者注)…「白痴」は現在、差別・不快用語として通常は用いられません。1957年に大宅壮一が書いた言葉に沿って紹介してただけで他意はありません。
---------------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など