【闘病】謎の手先のしびれは難病のサインだった…《慢性炎症性脱髄性多発神経炎》
退院後も再発を繰り返すも普段は健常者と変わらない
編集部: 退院後はどんな様子ですか? 鈴木さん: 退院後は、次男が授乳中だったので、予防薬は使えず、再発を繰り返しました。再発する度に通院して、ステロイドパルス治療を受けました。 医師からは「MOG抗体陽性だから、予防薬は使わない」と言われましたが、詳細な説明はなかったと思います。自分もあまり気にしていなかったので、今でもよくわかっていないですね。 編集部: その後、慢性炎症性脱髄性多発神経炎の再発はありますか? 鈴木さん: 2017年4月には、パートに時短就労で復帰しましたが、疲労とストレスや風邪の発熱などの影響で、年に数回再発しています。約2ヶ月おきに再発していると思います。 その都度、通院してステロイドパルス治療をおこなっていますが、毎回寛解しているので、その点はラッキーだと思います。 現在は毎日、子育てに追われています。10才、5才、1才の3人を育てているので、仕事をしているときのほうが気は楽です。仕事が息抜きの感覚で、その上お金も稼げるなんて最高だと思っています。 編集部: 身体のしびれなどの症状はどうなりましたか? 鈴木さん: 再発したとき以外は、調子もいいですね。普段は健康な人と変わらないか、それ以上に元気です。予防薬も使わず、通院治療のみで寛解します。普段は、小5の長男と50m競争しても、勝てるくらいの運動はできますよ。
伝えたい気持ち
編集部: 最初に慢性炎症性脱髄性多発神経炎がわかったときや再発のときの心境を教えて下さい。 鈴木さん: 元々メンタルが強いので、多少のことでは落ち込みません。発症したときも再発時も「コンチクショー」と思う程度でした。これは自慢ではなくて、難病になっても、割と元気に暮らしている人もいるよってことを知ってもらいたいです。 編集部: 入院で辛かったことはなんですか? 鈴木さん: とにかく家に帰れないのが辛かったですね。特に次男が生後5ヶ月だったので、「側にいられなくてゴメン」と思いました。実際には有給を取った夫が完璧に、家事と育児をしていて全く問題なしでした。 編集部: 闘病中の心の支えはなんでしたか? 鈴木さん: やっぱり、心の支えは家族とお見舞いに来てくれた友達ですね。息子たちはものすごくカワイイです。再発すると分かっていても、もう1人産みたくなるくらいかわいくて、辛さと嬉しさを天秤にかけた結果、三男を産みました。ぜんぜん後悔はしていません。 編集部: 過去の自分に伝えたいことはありますか? 鈴木さん: 過去の自分には「難病になっても結構大丈夫だよ」と教えたいですね。 編集部: 医療従事者に対して伝えたいことはありますか? 鈴木さん: 医療従事者も他業種と一緒で、人の当たり外れや相性がありますが、病人相手なのだから最低限優しくしてほしいと言いたいです。入院が長引くことを伝えに来た医師は配慮に欠けていて、今でも納得のいかない対応をされたと思っています。 編集部: 読者に対して伝えたいことはありますか? 鈴木さん: この病気を理解してほしいと言っても無理です。自分も発症するまで聞いた事ない病名でした。「明らかな体調不調があれば、早く病院に行った方がいい」と思います。 ※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年12月取材。