『源氏物語』のきわだった特徴「怨念」 日本文学に充満する都市化のルサンチマン
主人公・紫式部を吉高由里子さんが演じるNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されています。平安時代中期は、紫式部や清少納言といった女流文学が本格的に発展した時代でもあります。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「日本文学には都市化のルサンチマンが充満している」と指摘し、さらに「現代は平安時代にも似た『女性の時代』になりつつある」といいます。若山氏が独自の視点で語ります。
『万葉集』のルサンチマン
「都市化のルサンチマン」というテーマについて考えるようになったのは『万葉集』の中の建築を研究していたときである。 万葉にとりくんでまず気づいたのは「寺が登場しない」ということだ。家、やど、柱、軒、社、宮などの建築用語は多々登場するのだが、仏教寺院はまったくといっていいほど登場しないのである。この歌集が編まれたのは、奈良の都・平城京に、東大寺をはじめとする隆々たる仏寺がそびえ建ち、全国に、国分寺、国分尼寺が建設され、日本という国が一挙に仏教化した時代である。にもかかわらず、『万葉集』には、寺を詠む歌も、都市の賑わいを詠む歌も登場しない。この歌集は仏教文明と都市文明に背を向けていたと考えざるをえないのである。 この時代は、大陸から「文字・宗教・都市」が一体的に取り入れられたのであり、それこそが文明というものであった。しかし万葉人の目は徹底して、大自然としての山河と、小自然としての草花に向けられている。この歌集は、都市化=文明に対する反力、すなわち「都市化のルサンチマン(怨念)」で形成されているのだ。文字による文明に対する怨念が、文字を使って表現されるところが皮肉である。(参照・拙著『「家」と「やど」-建築からの文化論』朝日新聞社1995年刊) このルサンチマンという言葉が僕の頭に浮かんだのは、大学の教養で哲学を学び、ニーチェを専攻したので、その著書をよく読んで影響を受けていたからである。彼は、キリスト教やその他の道徳を、強者に対する弱者のルサンチマン(嫉妬・怨念)と断じるのだ。しかし僕は、この「ルサンチマン」を必ずしも否定的に扱おうとは思わない。人類は不可逆的かつ加速度的な都市化の推力を受けており、それに対する反力としてのルサンチマンを心に抱くものではないか。 万葉から村上春樹まで、日本文学の中の建築記述を研究してきて、日本文学には、都市化に対するルサンチマンが充満していると思わされた。