第165回芥川賞受賞会見(全文)石沢麻依さん「どう言葉をつくり上げていくか」
日本から遠く離れて書くということをどう思うか
読売新聞:もう1つ、最後にお伺いしたいんですけども、震災をテーマにして書くかどうかっていうのをかなり悩まれてた上で今回、書いたわけですけども、それがそのまま日本にいたっていうことではなくて、今ドイツにいらっしゃるっていうことっていうことでの、やっぱりあらためて、日本との距離っていうことの大きさ、しかも今、ドイツで受賞されているわけですけども、今後、ドイツで生活を続け、研究を続けられていくのかとか、拠点をどうするのかっていうことも含めて、日本から遠く離れて書くっていうことについてお伺いできればと思います。 石沢:そうですね、難しいです。例えば離れて見るからこそ、私は、例えば日本というものを、自分の記憶の中にある日本の土地だったり場所だったりっていうものを、あるいは住んでいた場所、過ごした時間っていうものを非常にノスタルジーという感覚でくるんで見ている部分もあると思います。 もちろん、例えば私が現地を、日本に帰国して、では簡単に生活できるかっていうと、まだ博士号も取ってない、そして職なしという、無職であると考えると、そんな甘い感傷などもう踏みにじまれるようなことの現実が厳しい、特に今、コロナ禍でもありますから、そんな甘くないものだと思っています。
次作はもう書き始めているのか
ただ、この離れているから、そしてやはりいろいろ問題、このコロナ禍っていう状況において、例えばいろんな国で、いろんな政治的問題っていうのも浮き彫りになってきた面もあると思いますが、しかし、例えば、では、私が一方的に日本、自分のいた場所っていうのをただ批判するだけかっていうとそうでもなく、例えばどういうふうに思いながら、そしてここでもまた、この場所っていうものを、この場所の、例えば今回ですと、簡単に、第2次世界大戦の記憶を入れましたけど、これはちょっと自分で本当に良かったのかって、最後までずっと、そこでも悩んでいました。 例えば私が震災を書くことによって、震災、沿岸部とかあと原発避難区域の人たちの心にすごく嫌な足跡を残すんじゃないかと同じように、もしかしたらこのドイツの歴史を扱うことで、薄っぺらく扱ってしまうことで、これがどんな、すごく嫌な声として、記憶を足蹴にしてるんじゃないかっていうふうな危惧は最後までありましたし、今回、それは今後、やっぱり考えていかなきゃいけないなと思っています。 ですから、離れて、私が例えば今、日本から離れ、ドイツにいますけど、ドイツで重ねた時間であり、歴史であったり文化だったりもしたら、ある意味、外部者っていう立ち位置でもありますから、それはドイツにいるから日本にとっても外にいる人間、じゃあこっちにいるから、でも私はやっぱり今でも外国人である、外の人間っていうふうに。 では逆に外の人間であるならば、どのように見ていけるか、どのようにそこへ向かっていけるかっていうことは、それも1つの方向性じゃないかというふうに、そしてそれを取り組んでいくべきじゃないかなと思っています。 読売新聞:どうもありがとうございます。次作はもう書き始められてるんですか。 石沢:そうですね、断片的にはもう書いていますけど、ちょっと今、いろいろこういうお話とか、私の周りにすごく湧き上がるような、こういう状況になって、ちょっと今、距離が遠ざかってしまった、そこの感覚を取り戻すのにどれぐらい掛かるのか、それが少し心配な点でもあります。 読売新聞:どうもありがとうございます。おめでとうございました。 石沢:どうもありがとうございました。