声優・金田朋子。流産を乗り越えて、44歳で長女を出産。私の武器はただ一つ。「できるママ」をあきらめても唯一娘に誇れるもの
42歳で妊活をスタート。周囲からの言葉にあせりも感じでいた
――44歳での高齢出産だったということですが、当時は妊活などしていたのでしょうか? 金田 そろそろ子どもを考えようかなと思い始めたのが、42歳になったころでした。そのころの私は、妊娠について本当に無知でしたが、妊活を意識し始めて比較的すぐに自然妊娠したんです。ただそのときは、かなり初期の段階で流産してしまいました。 私のこれまでの人生って、けっこう運よく生きてきたところがあって。まさか、自分が流産をするとは思わなかったんですよ。それで、この出来事には、何か意味があるのかな? と考えをめぐらせました。 実はそのころ、渉くんとけんかが多い時期だったんですよね。振り返ってみると、42歳からの妊活ということで、自分自身もあせりがあったんだと思います。それに、「子どもは作らないの?」とまわりから言われることもいつの間にかプレッシャーになっていて、自然とけんかが増えていたのかもしれないです。 そんなタイミングで流産したということは、「赤ちゃんが私たちに、『けんかをしないで』と言っているのかも」と、自分の中で腑に落ちたんですよ。 それは、渉くんにもすぐに伝えて、一緒に考えました。それで、けんかをしないように気をつけようということになったんですね。そうしたら、その後に娘がおなかにやってきてくれて、無事に生まれてくれました。 最初の子が本当に初期での流産だったので、もしかしたら、あのときの子が娘なんじゃないかな~なんて、今でも密かに思ったりしています。 ――妊娠中は、体調などはどうでしたか? 金田 妊娠中は、そんなに大きな問題はなかったんです。マラソンをしていたことがよかったのかもしれないのですが、体力がそこそこあったので、出産ギリギリまで動いていました。 それよりも、精神的なプレッシャーのほうが大きかったですね。40代になると、流産する確率も上がってしまうし、元気な子が生まれてきてくれるかなとか、そういう心配がずっとありました。一度流産経験があるからこそ、とにかく怖かったですね。もしここで流産してしまったら、44歳という年齢だと、また妊娠できる確率はさらに低くなってしまう…。そんな、高齢出産ゆえの不安を強く感じていました。