石川祐希が紡ぐ「ペルージャの物語」26年前は中田英寿が鮮烈デビュー
ペルージャの物語(前編) ペルージャはローマから170キロ離れた、人口約16万5000人の町だ。イタリアのちょうど真ん中にあるので「イタリアのへそ」と言われ、豊かな自然に囲まれた丘の上にあるので「イタリアの緑のハート」とも呼ばれている。 【画像】男子バレー日本代表キャプテン・石川祐希フォトギャラリー その歴史は古代ローマ帝国以前のまでさかのぼり、エトルリア時代の遺跡と中世の美しい街並みを残す。小さな町だが、ペルージャ大学のほかに外国人大学があるので国際色豊か。毎年、世界的なジャズフェスティバルも開催される。黒トリュフが名産で、シーズンになると街中のレストランでは新鮮なトリュフのパスタが味わえ、また世界的に有名な「Baci(バーチ)」というチョコレートもこの町の生まれだ。 しかし、日本でペルージャという町が広く知られるようになったのは、サッカーにおいてだろう。 1998年から2000年まで、中田英寿がペルージャ・カルチョに在籍し、セリエAの舞台で戦っていた。デビュー戦で中田がユベントス相手に決めた2ゴールは、ペルージャのサッカーが強かった時代のひとつの象徴として、今でもこの町の人々の記憶に強く残っている。中田がペルージャでプレーしていた頃は、ちょうどペルージャ・カルチョの黄金時代だった。 ペルージャの歴史は長い。創立は1890年。15 世紀のペルージャ領主、ブラッチョ・ダ・モントーネにちなんで、当時はブラッチョ・フォルテブラッチョ・ジムナスティッククラブと呼ばれていた。1970年に初めてセリエAに昇格し、1979年にはミランに次いで2位になったこともあったが、その後またセリエBとCの間で低迷していた。 そんなペルージャに転機をもたらしたのはローマ出身の企業家ルチアーノ・ガウッチだった。1980年代にローマの副会長を務めていたが、会長選に敗れると、ローマを去り、1991年、当時セリエCで苦戦し、破産寸前だったペルージャを、前オーナーから購入した。 よそ者のガウッチはペルージャの人々には受けが悪かったが、それでもすぐにチームをセリエBに昇格させ、1996年には15年ぶりにセリエAへと導いた。この時は1シーズンでまたBに戻ったが、その後、1998年にセリエAに復帰。そのタイミングで獲得したのが、フランスW杯で爪痕を残したばかりの中田だった。