石川祐希が紡ぐ「ペルージャの物語」26年前は中田英寿が鮮烈デビュー
【サッカーからバレーボールへ】 ちなみにガウッチは、中田以降も"サプライズ"にこと欠かなかった。アジア人の"二匹目のどじょう"を狙ってセリエA初の中国人選手、馬明宇(マー・ミンギュ)を獲得。それが失敗だとわかると、代わりに誰も名前を知らないトリニダード・トバゴの選手を連れてきた。リビアのカダフィ大佐の息子サーディを獲得したのも、イランからラフマン・レザイーをヨーロッパに連れてきたのも彼だった。 2000年に韓国の安貞桓(アン・ジョンファン)を連れてきたのも彼だったが、2002年日韓W杯の決勝トーナメント1回戦で、彼がイタリア相手に決勝ゴールを決めると、ガウッチは「イタリアサッカーを台無しにした人物に給料を払うつもりはない」と言ったとされ、結局、チームから契約を解除されている。 性格的にはかなり激しく、少しでもうまくいかないと、シーズン中に何度も監督の首をすげ替え、選手を入れ替える。私生活も破天荒で、34歳差の息子の彼女を奪い、2005年には負債を抱えたペルージャを破産させた。しかし、実はそれが脱税目的の偽装倒産であることが発覚すると、ドミニカ共和国に逃亡、2020年に81歳で客死した。余談だが、ガウッチは競馬も好きで、有名な競走馬トニービンの馬主でもあった。 ガウッチが去ったペルージャは、経営陣を一新、セリエCから再出発しなければならなかった。しかしその5年後にはまた破産し、今度はプロ登録をはく奪されアマチュアチームとなってしまう。翌年にはどうにかプロに返り咲いたが、現在はセリエBとCの間を行ったり来たりしている状況だ。 かつての華やかな時代を知るペルージャの人々は、チームの衰退に長年、溜息をついてきた。ただここにきてペルジーノ(ペルージャ人)の心と誇りを満たす存在が、予想しないところから現われた。シル・サフェーティ・ペルージャ。プロバレーボールのチームだ。この町は今、「シル」の活躍に歓喜している。そして奇しくも現在、そのチームの中心にいるのが日本人選手の石川祐希だ。(つづく)
利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko