「風土」と「文化」をめぐるジレンマ 中国の軍事的拡張を考える
海洋国・内陸国
さかのぼれば、古代のサラミスの海戦も、中世のレパントの海戦も、近代の日本海海戦も、海洋国が内陸国に勝ったのである。元の大軍が日本に侵攻できなかったのは、台風という風土の力も加わったからである。逆に白村江の海戦において、日本と百済の軍が唐と新羅の軍に大敗したという例もあるが、唐が日本を征服したわけではない。内陸国が海洋国を制覇するのもきわめて困難なのだ。 歴史的に見て、海洋国の代表は、古代ギリシャ、中世ヴェネツィアやジェノバなどのイタリア都市国家、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、アメリカ、日本などである。内陸国の代表はペルシャ(現在のイラン)、インド、オスマン(現在のトルコ)、ロシア、中国などである。 もちろん大きな内陸国は海に面しているが、国家体制が基本的に内陸的であって海洋国とはいいがたいのだ。それは文化文明の歴史的地理的な問題であり、むしろユーラシアの帯状の地域の中央部に位置するか両端部に位置するか、という見方の方がいいかもしれない。
「ユーラシアの帯」
16世紀以降、ヨーロッパ人が持ち込んだ宗教様式が定着した植民地地域での分布は別として、高度化した宗教様式の分布は、イギリスから日本にいたる東西に長い帯状の地域に集中している。僕はこれを「ユーラシアの帯」と呼んできた。各地の文化文明は、この「世界の都市軸」ともいうべき帯の磁場のどのようなところに位置するかによって、その発達と性格が決定的となる。つまり内陸国とは「ユーラシアの帯」の中央部の国家でもあり、海洋国とは「ユーラシアの帯」の両端部の国家でもあるのだ。そう考えれば、梅棹忠夫の『文明の生態史観』と重なってくる。 中国は明らかに内陸国である。東は東シナ海、南は南シナ海、西はヒマラヤの高地とその北につらなる砂漠、北は万里の長城に囲まれた、まさに「中の国」であり、その風土の限界を越えることはその名に反する。海洋国である日本が内陸に侵攻するのが困難であるように、内陸国の中国が海洋に侵攻するのは困難である。 もちろん経済と文化のグローバリズムが進行する今日、実際の軍事衝突は、どちらにとってもとるべき選択肢ではない。たとえ一時的に武力制圧しても、香港にも台湾にも海洋国的な文化が根づいており、そこに内陸国的な制度を押しつけることは、長期的な無理を生じるだろう。風土の力とは文化の力でもある。