「風土」と「文化」をめぐるジレンマ 中国の軍事的拡張を考える
戦争と風土
僕らの青春はベトナム戦争とともにあった。あの大学紛争というものも、このいつ終わるともしれない長い戦争が背景となっていた。そして結果的には、最大最強のアメリカが、小さく貧しいベトナムに負けたのである。「ベスト&ブライテスト(最良で最聡明)」と呼ばれるアメリカの知的エリートを集めた多角的オプションの戦略と最新鋭の文明兵器は、ジャングルの葉影に隠れるベトナムの民兵を殲滅できなかった。考えてみれば、ナパーム弾、クラスター爆弾、枯葉剤などの非人道的な兵器は、ジャングル(熱帯雨林)という風土を組み伏せる目的で用いられたのだ。古代ローマも、道路や橋の建設といった風土を乗り越える技術とともに帝国を拡大したのだが、それは「破壊」ではなく「建設」であった。 「文明が風土に負けた」と感じた。 僕の博士論文は「工業化構法の生産性」というタイムスタディと多変量解析を結びつけた技術的数学的なものだったが、そのときから、研究の方向を「自然風土と構法様式の関係」に180度転換した。そしてその関係が文化を形成するという視点をとり、風土と建築と文化の関係を追求することがライフワークとなったのである。 ベトナム戦争のあとアメリカは、イラクでもアフガニスタンでも砂漠の風土に苦戦をつづけ、勝ったとはいえない。ナポレオンの大軍も、ヒトラーの機甲師団も、ロシアの冬将軍に負けたのだ。日本軍も、中国の地域的にも文化的にも奥深い風土と東南アジアの熱帯雨林に悩まされた。風土の力は、軍事的な力の計算を超えたものだ。孫子もクラウゼビッツも、その著作にまず「風土」をあげるべきであった。
建築と風土
建築様式は風土を基本に成立する。 雨の多いところでは木造が発達し、少ないところでは煉瓦造が発達する。屋根の傾斜角度は時間あたりの降雨量にほぼ比例する。寒いところでは暖房を前提として断熱的となり、暑いところでは乾燥地は遮熱を、湿潤地は通風を基本とする。 しかし思想や宗教の発達とともに複雑高度化(文明化)した様式(宗教様式と呼ぶ)は、ある程度、風土を越えて広がるものだ。しかし完全には越えられない。それぞれの地域の風土に順応して変化していく。 宗教様式の分布は、文字の種類の分布と相関が高く、その拡大には戦力の優位性による場合と文化の優位性による場合とがあるが、いずれにしろ人間の文明的な営みは自然風土の制約を受ける。また現在の温暖化問題も、文明(都市化)と風土との関係としてとらえられる。