「シカだけに仕方ない」125ccタイトル目前に時速170キロで鹿と激突、「5人目の日本人王者」の称号を逃した東雅雄のその後の人生
激突を機に変わってしまった流れ
東は翌日の決勝レースに出走したものの、事故の影響で12位に終わった。そして鹿との激突を境に、良好だったシーズンの流れがガラリと変わる。後半戦はなかなか表彰台に立てないレースが続き、タイトル争いからも後退。東は総合3位でシーズンを終えることになり、手にしたかに見えた王座を獲得したのは、このシーズン優勝がなかったスペイン人ライダー、エミリア・アルサモラだった。 東いわく、鹿と激突したことによる恐怖心はなかったが、開幕以来調子の良かったマシンを失ったことが、後半戦で勝てなくなった要因だという。当時はTカーを含め2台のマシンを使えたが、同じ部品を使いながらも同じフィーリングを持つマシンを仕上げることは遂にできなかった。トップを走りながら転倒したレースもあったし、まさしく「鹿の呪い」とでもいうべきだろうか。 東はその後、2003年まで現役生活を続けたが、ついにチャンピオンを獲得することはできなかった。しかし01年には、今度はポジティブなかたちで話題の人となった。 鈴鹿サーキットで開催された開幕戦日本GPに東が勝利したことで、ホンダはグランプリ通算498勝目を達成。続く250ccクラスで加藤大治郎が499勝目を挙げると、500ccクラスでバレンティーノ・ロッシが500勝を達成。この記念すべき1日はいまでも話題になることが多く、ホンダも第6戦カタルーニャGPで「500勝」記念イベントを盛大に開催したほどだった。 「00年の最終戦オーストラリアGPで僕が497勝目を挙げたときに、来年の鈴鹿で500勝達成できるかもって話になった。00年のホンダは250ccも500ccも厳しかったけれど、01年は勝てそうだったし……。そんなこともあって、01年の開幕戦はすごいプレッシャーだった。ギリギリなんとか勝てたけれど、その後、大ちゃんとロッシも勝って、すごくドラマチックでしたね」 このころから、125ccクラスではアプリリア、ジレラのヨーロッパ勢が台頭。東は02年に総合8位、03年に総合16位と苦戦を続け、ついに32歳で引退を決めた。チャンピオンにこそなれなかったが、通算10勝、表彰台獲得20回という素晴らしい成績を残した。
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