【闘病】もっと危機感を抱いていれば… 「腟がん」の手術後に「敗血症」を発症して
腟がんと診断されながらも前向きに治療に向き合ってきた「さやちぇる」さん(仮称)は、9月下旬に惜しまれつつ他界されました。 【ご遺族提供写真】闘病中・生前のさやちぇるさんの写真 ご本人・ご遺族の意向を受け、生前に取材した闘病体験談をお届けします。がん検診も会社の健康診断でもずっと「異常なし」だったというさやちぇるさんが、ある日医師から告げられたのは「ステージ4」。 目の前が真っ暗になったところから、どのように気持ちを切り替え、どのように治療に望んだのでしょうか? 彼女の体験を通じて、腟がんという病気を知り、病気に対する理解を深めるきっかけにしてもらえれば幸いです。 ※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年7月取材。
「5年生存率は半分以下」と言われ目の前が真っ暗に
編集部: 最初に不調や違和感があったのはいつですか? さやちぇるさん: もともと生理不順で、生理が来たり来なかったりしていたこともあり、子宮頚がん検診は近所の婦人科で半年に一度、さらに会社の健康診断としても1年に一度受けていましたが、ずっと異常なく、再検査になったことすらありませんでした(※1)。 しかし、2021年12月から生理が終わらずにずっとダラダラと出血が続きました。最初はあまり気に止めず、そのうち収まるだろうと考えていたのですが、年明けから臀部痛が出始め、市販のロキソニンなどを飲んで痛みに耐えるようになりました。 レバー状の血の塊がたくさん出るようになり、トイレに引きこもって血が落ち着くのを待ったり、目の前がクラクラして座り込んだりするようになり、違和感がだんだん強くなっていきました。 (監修医註・※1) 一般的には子宮頸がん検診は、2年に1回の細胞診または5年に1回のHPV検査単独法が推奨されており、毎年受けても効果が上がらないことには注意が必要です。 https://ganjoho.jp/public/pre_scr/screening/cervix_uteri.html 編集部: それで病院を受診されたのですか? さやちぇるさん: はい。近所の婦人科でいただいた薬では出血は止まらず、臀部痛もあったので「婦人科以外の病気かも」と思い、整形外科などほかの診療科の病院を3件受診しましたが、出血も臀部痛も変わりませんでした。 大きい病院などに紹介してほしいとお願いしても「レントゲンや採血、エコーでも特に問題ないから」「ホルモンバランスの乱れかな」という感じの返答だったんです。 しかし、痛みは増していく一方で、ある夜、レバー状の血の塊が大量に出続け、いつまで経っても止まらずに目の前がクラクラし始めたので救急医療相談窓口に連絡すると、すぐに夜間救急で対応してくれることになりました。 編集部: そこからどうなったのですか? さやちぇるさん: 診てもらっている最中にも出血が収まらず、検査中に意識が朦朧とし、看護師さんや先生の掛け声が僅かに聞こえるだけでした。腟にガーゼを詰め点滴をして検査を待ち、家族になんとか電話をして「緊急入院する」と伝えました。 朝に家族が来てくれましたが、新型コロナ感染拡大の影響で面会は出来ず荷物の受け取りだけだったようです。出血の影響で貧血だったため輸血を行い、回復を待ちました。やがて、医師から「腫瘍があります。 確定ではありませんが、大きさ的に悪性だと思います」と言われ、これからMRIやCT、足の血栓などの検査をすると説明を受けました。もし肺などに転移しているとできる治療が限られてくるとも言われました。 編集部: 検査結果はどうだったのですか? さやちぇるさん: 子宮頸がんの可能性もあれど、腟がんの可能性が高く、その病院ではさらに詳しい検査などもできないようでしたので、転院になると言われました。 姉が看護師なので、先輩や先生などに病院の情報を聞いてくれたり、従兄弟も放射線技師なのでいろいろ情報収集してくれたりして決めた病院に紹介状を書いてもらい、転院することにしました。 そこでまた一から検査を行い、その日に診断結果が出て、病名がわかりました。 編集部: その時どのように感じましたか? さやちぇるさん: 母と一緒に診察室に呼ばれ、CT画像を見ながら、病名は『腟がん(ステージ4)』で、希少がんと説明されました。自分ががんだとは信じられず、全く先生の話が入って来ない中、泣きながら母としっかり手を繋ぎ、「これは悪い夢だ! 目覚めて!」と願っていました。 しかし、全ては現実で、看護師さんが私の涙を拭きながらずっと背中をさすり、優しい言葉をたくさんかけてくれました。治療するにあたって治療がうまくいっても子どもは産めないし、5年生存率は45~50%であると言われ、目の前がさらに真っ暗になりました。