ミャンマーで拘束 ジャーナリストの北角さんが会見(全文2完)虚偽の調書が作成されていた
近所の人たちも非常に心配してくれた
2つ目の、1回目に拘束されてからの状況なんですけれども、私が1回目に拘束された状況が広く報道されて、ミャンマーの人たちもSNSを使って、よく見てくれたみたいです。そのために、私は現場で目立ってしまいまして、例えばデモの現場に行くと、すぐに私を見つけるデモ参加者がいるんですね。あなたはニュースに出てた人ではないですかと。ミャンマーのためにそんなことになってごめんなさい、ありがとうというようなことをよく現場で言われていたんですけれども。そのせいで非常に現場で目立ってしまうことになりまして、それは軍の人間ですとか警察の人間ももちろん気付いているということだと思いますので、非常に身動きが取りづらいような状況でした。 また、私の住んでいたエリアの近所の人たちも非常に私のことを心配してくれていて、不審者がいると、なんか最近、昨夜、君の家の前に変な人がいたとか、そういう情報を逐一知らせてくれるようになりました。その中で何回か、不審者といいますか、私を見ているような人がいたことはあるのですけれども、ただ、公に取材に対して妨害が入るですとか、そういったことはありませんでした。
よく聞かれたのは背後関係
司会:(英語) 北角:尋問でよく聞かれていたことは背後関係ですね。私と一緒に仕事をしていたのは誰かと。あなたが記事やビデオを売っていた日本の報道機関はどこか。また、ミャンマーに友達はいるかと。そういうような、そこから捜査を広げていこうというような、そういうような質問が多くありました。これは危険な質問だと思いましたので、弁護士が来るまでは言わないというような答えをしていました。そのほか、事件に関わる、先ほども友人からビデオを買っただろうというふうな、これはまったく心当たりのない話なんですけども、この話についても繰り返し聞かれていました。 私の押収されたものなんですけれども、カメラやパソコン、あとは外付けのハードディスクですとか、そういったものは段ボール2つ分押収されていきました。非常に例外的なことだと思うんですが、その荷物は私の解放が決まってから、その日、警察の施設に1泊してるんですけども、警察の施設と、あと空港での出発の30分前ぐらいに1箱届きまして、ほとんどのものは返ってきているというふうに思います。今、データもチェックしているんですけれども、データもだいぶ残っているという印象です。 これは非常に例外的なことでして、どうしてなのかと考えたところ、おそらくは、私の解放が13日の午後におそらくトップダウンで決まっていると思うんですけれども、警察当局としてはたぶん押収品を返すつもりがなかったと思うんですね。なのでデータを消さないまま、そのまま置いておいたのですけれども、それがトップダウンで返さなきゃいけないということになったようでして、なので慌てて、警察のいろんな部署に散らばってたようなんですけども、それをかき集めて慌てて返したということだと思います。なので空港でもうぎりぎりになって返ってくる状態でした。